羽柴氏、榊原康政が後北条方の夜襲を撃退したことを賞す
夜前、敵、城中へ入候所、執合数多討捕候由、誠以心懸神妙被思召候、猶有馬法印・長束大蔵大輔可申候也、 卯月六日 榊原式部太輔とのへ →小田原市史 資料編 原始 古代 中世Ⅰ 「豊臣秀吉朱印状写」(古文書集三) 1590(天 …
夜前、敵、城中へ入候所、執合数多討捕候由、誠以心懸神妙被思召候、猶有馬法印・長束大蔵大輔可申候也、 卯月六日 榊原式部太輔とのへ →小田原市史 資料編 原始 古代 中世Ⅰ 「豊臣秀吉朱印状写」(古文書集三) 1590(天 …
九月廿日於甲州都留郡合戦、無粉骨比類、弥可被励忠節候、謹言、 九月廿二日 [宗瑞花押] 神田祐泉 →小田原市史 通史編 原始 古代 中世 別冊 小田原北条氏五代発給文書補遺 「伊勢宗瑞感状写」(松蘿随筆集古三十三) 9 …
今度於成田表合戦之刻、敵討捕、殊被鑓疵、粉骨之至、神妙候、其表弥以可抽忠勤者也、仍如件、 永禄九年丙寅八月廿三日 氏政 浜野弥六郎殿 →小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏政感状写」(武家雲箋) この度の成田方面の …
今度臼井之城、竭粉骨走廻、殊蒙疵、敵一人討捕候、高名之至、感悦候、自今以後、弥可抽忠義状如件、 卯月十二日 (氏政花押) 蔭山新四郎殿 →小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏政感状写」(相州文書 足柄上郡利右衛門所蔵 …
昨日廿七越国衆生山へ上備ニ付而、進旗処ニ、敵敗北、打押付、利根川端迄追詰、尽粉骨被走廻由候、戦功無比類候、弥忠節肝要候、仍如件、 永禄[二二]年 十一月廿一日 氏政 在判 太田豊後守殿 →神奈川県史 資料編3「北条氏政感 …
昨日廿七、於武州生山、越国衆追崩、蒙疵候、忠節候、向後弥至于走廻者、急度可及恩賞者也、仍如件、 永禄四年 十一月廿八日 良知弥三郎殿 →神奈川県史 資料編3「北条氏政感状写」(安得虎子十) 昨日27日、武蔵国生野山にお …
昨日廿七、於武州生山、越国衆追崩、数ヶ所蒙疵、本江討捕之、高名尤感悦候、向後弥至于走廻者、急度可及恩賞者也、仍如件、 永禄[二二]年 十一月廿八日 (北条氏政花押) 小野藤八郎殿 →神奈川県史 資料編3「北条氏政感状写」 …
屋敷へ敵取懸候処、堅固遂防戦、敵十五人打取験、津久井迄指越由、忠節無比類候、此度之間、弥尽粉骨、可走廻候、本意之上、随望可致褒美者也、仍如件、 三月十二日 (北条氏康花押) 小田野とのへ →「北条氏康判物写」(佐野家蔵文 …
去天文十七年[戊申]年三月十九日於西三河小豆坂尾州衆馳合、最前馬を入、殊ニ殿之時、有我等同心無比類義、感悦之至候、弥可被軍忠事専要候、仍如件、 四月十五日 備中守 松井惣左衛門殿 →愛知県史 資料編10「朝比奈泰能感状写 …
「千賀与五兵衛殿 上総介」 去四月七日於富永城計策候砌、最前令馳走鈴一討捕之旨、太以神妙也、弥可抽戦忠之状如件、 永禄五 七月三日 上総介(花押) 千賀与五兵衛殿 →静岡県史 資料編7「今川氏真感状写」(千賀家文書) …