昨日廿七、於武州生山、越国衆追崩、数ヶ所蒙疵、本江討捕之、高名尤感悦候、向後弥至于走廻者、急度可及恩賞者也、仍如件、
永禄[二二]年
十一月廿八日
(北条氏政花押)
小野藤八郎殿
→神奈川県史 資料編3「北条氏政感状写」(相州文書所収大住郡七右衛門所蔵文書)
昨日27日、武蔵国生野山において、越後国の部隊を追い崩し、数箇所負傷して本江を討ち取りました。高名はごもっともで感悦です。今後ますます活躍されるならば、取り急ぎ恩賞に及ぶでしょう。
昨日廿七、於武州生山、越国衆追崩、数ヶ所蒙疵、本江討捕之、高名尤感悦候、向後弥至于走廻者、急度可及恩賞者也、仍如件、
永禄[二二]年
十一月廿八日
(北条氏政花押)
小野藤八郎殿
→神奈川県史 資料編3「北条氏政感状写」(相州文書所収大住郡七右衛門所蔵文書)
昨日27日、武蔵国生野山において、越後国の部隊を追い崩し、数箇所負傷して本江を討ち取りました。高名はごもっともで感悦です。今後ますます活躍されるならば、取り急ぎ恩賞に及ぶでしょう。