去天文十七年[戊申]年三月十九日於西三河小豆坂尾州衆馳合、最前馬を入、殊ニ殿之時、有我等同心無比類義、感悦之至候、弥可被軍忠事専要候、仍如件、
四月十五日
備中守
松井惣左衛門殿
→愛知県史 資料編10「朝比奈泰能感状写」(松井家文書)
去る1548(天文17)年3月19日、西三河小豆坂において尾張国が馳せ合った際、前線に馬を入れ、特に殿軍の時、私の同心は比類ない忠義があり、感悦の至りです。ますます軍忠のことが大切でしょう。
去天文十七年[戊申]年三月十九日於西三河小豆坂尾州衆馳合、最前馬を入、殊ニ殿之時、有我等同心無比類義、感悦之至候、弥可被軍忠事専要候、仍如件、
四月十五日
備中守
松井惣左衛門殿
→愛知県史 資料編10「朝比奈泰能感状写」(松井家文書)
去る1548(天文17)年3月19日、西三河小豆坂において尾張国が馳せ合った際、前線に馬を入れ、特に殿軍の時、私の同心は比類ない忠義があり、感悦の至りです。ますます軍忠のことが大切でしょう。