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北条氏政、太田豊後守が生野山合戦で活躍したことを賞す

昨日廿七越国衆生山へ上備ニ付而、進旗処ニ、敵敗北、打押付、利根川端迄追詰、尽粉骨被走廻由候、戦功無比類候、弥忠節肝要候、仍如件、

永禄[二二]年

十一月廿一日

氏政 在判

太田豊後守殿

→神奈川県史 資料編3「北条氏政感状案写」(感状写)

 昨日27日、越後国の部隊が生野山に備えを上げたので、旗を進めたところ、敵は敗北。討ち押して利根川の岸に追い詰めて粉骨を尽くして活躍したとのこと。戦功は比類がありません。ますますの忠節が肝要です。

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