今川義元、岡部左京進の戦功を賞す
今度就于一乱、於所々無異于他走廻抽粉骨、剰住書花蔵へ被取之処、親綱取返返付畢、甚以神妙之至、無是非候、対義元子孫末代、親綱忠節無比類者也、恐々謹言、 天文五丙申 霜月三日 義元(花押) ○紙継目、五行分余白 今度一乱已 …
今度就于一乱、於所々無異于他走廻抽粉骨、剰住書花蔵へ被取之処、親綱取返返付畢、甚以神妙之至、無是非候、対義元子孫末代、親綱忠節無比類者也、恐々謹言、 天文五丙申 霜月三日 義元(花押) ○紙継目、五行分余白 今度一乱已 …
今度合戦付而親討死之由、無比類忠節候、弥其表之儀、馳走可為祝着候、於本意一所可申付候、恐々謹言、 (異筆)永禄六年 三介 信長(花押) 毛利小三郎殿 →愛知県史 資料編11「織田信長感状」(毛利文書) この度の合戦にて …
去六日、於嵩山市場口長沢、最前入鑓走廻之由神妙也、弥可抽戦功之状如件、 永禄四 七月十二日 氏真(花押) 田嶋新左衛門殿 →新編岡崎市史「今川氏真感状」(田嶋家文書) 去る6日、嵩山市場口の長沢において、前線に槍を入れ …
去年九月十四日大給山中筋諸手相勤、平五屋敷押破之刻、令先懸最前入鑓、粉骨所無比類也、殊鑓疵一ヶ所、矢疵一ヶ所蒙之、神妙之至感悦也、弥可抽忠功者也、仍如件、 弘治二年 二月廿九日 義元(花押) 天野小四郎殿 →静岡県史「今 …
去七月廿六日堂山乗捕之時、被官人并井出藤九郎別而走廻、殊白石縫殿助討捕之由、太神妙也、弥可抽戦功之旨可申聞之状如件、 永禄五 八月十日 氏真(花押) 三浦土佐守殿 →愛知県史 資料編11「今川氏真感状」(井出文書) …
去五月七日牧野右馬允富永在番之刻、敵相動之処、右馬允自身令刀切、并始平右衛門各無比類尽粉骨之旨、太神妙也、弥可抽忠功之状如件、 永禄五 八月八日 氏真(花押) 稲垣平右衛門尉 →愛知県史 資料編11「今川氏真感状」(牧 …
去三月三州出馬之砌、富永へ三浦右衛門大夫相動候刻、為案内者指置之処、於広瀬河端随分之敵一人討捕之、殊蜂殿辺敵馳出之上、尽粉骨■敵一人鑓付之由、何以神妙也、弥可励軍忠之状如件、 永禄五 八月八日 氏真(花押) 稲垣平右衛 …
去年五月廿八日富永口へ各相動引退候刻、敵慕之処一人馳返、無比類走廻候旨神妙也、弥可抽忠功之状如件、 永禄五 八月七日 氏真(花押) 稲垣平右衛門尉 →愛知県史 資料編11「今川氏真感状」(牧野文書) 去る年5月28日 …
於于去二月十五日信州水内郡葛山之地、頸壱討捕之条、戦功之至感入候、弥可抽忠信者也、仍如件 弘治三 丁巳 三月十日 晴信(印) 岩下藤三郎との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 去る2月15日に信濃国水内郡葛山の …
今十九、於信刕更級郡川中嶋一戦之時、頚壱討捕之条神妙之至感入候、弥可抽忠信事肝要候、仍如件 天文廿四年乙夘 七月十九日 晴信(印) 土橋対馬守との →甲府市史「武田晴信感状」(甲州古文書) 今日19日、信濃国更級郡川中 …