去三月三州出馬之砌、富永へ三浦右衛門大夫相動候刻、為案内者指置之処、於広瀬河端随分之敵一人討捕之、殊蜂殿辺敵馳出之上、尽粉骨■敵一人鑓付之由、何以神妙也、弥可励軍忠之状如件、
永禄五
八月八日
氏真(花押)
稲垣平右衛門尉
→愛知県史 資料編11「今川氏真感状」(牧野文書)
去る3月三河国に出馬した際、富永へ三浦右衛門大夫が出撃してその案内としたところ、広瀬河端において手ごわい敵を1人討ち取った。特に蜂殿周辺に敵が攻撃したので奮闘、敵1人を槍で仕留めたという。どちらも神妙である。いよいよ軍忠に励むように。