今度就于一乱、於所々無異于他走廻抽粉骨、剰住書花蔵へ被取之処、親綱取返返付畢、甚以神妙之至、無是非候、対義元子孫末代、親綱忠節無比類者也、恐々謹言、
天文五丙申
霜月三日 義元(花押)
○紙継目、五行分余白
今度一乱已前、大上様御注書お取、花蔵へ被為参候処、葉梨城責落、御注書お取進上仕候、然間、御自筆仁而御感被下候、為子孫之注書畢、
(切封墨引)
岡部左京進殿
→静岡県史 資料編7「今川義元書状」(岡部文書)
この度の一乱において、様々な場所で奔走して粉骨にぬきんでた。更には重書が花蔵に取られたいたものを、親綱が奪い返して返納してくれた。大変な神妙のいたりで、是非もないことだ。義元の子孫末代に至るまで、親綱の忠節には比類がないだろう。
この度の一乱の前に、大上様(今川氏親室)が重書を持って花蔵へ参られたところ、葉梨城を攻め落とし、御重書を奪って進上しました。このことから、御自筆にて感状を下されたのです。子孫のために重書とします。