北条氏政、佐竹中務大輔に、同義重と白川氏との和睦のため、執り成しを求める
向白川御出馬之由、其聞候■無御心元旨、義重へ以使申届間、可然様御指南、可為本望候、就中白川之儀、不一代申通之条、同者一和之儀所希候、於御馳走者可為本懐候、猶源三可申候、恐ゝ謹言、 二月十二日 氏政(花押) 佐竹中務太輔 …
向白川御出馬之由、其聞候■無御心元旨、義重へ以使申届間、可然様御指南、可為本望候、就中白川之儀、不一代申通之条、同者一和之儀所希候、於御馳走者可為本懐候、猶源三可申候、恐ゝ謹言、 二月十二日 氏政(花押) 佐竹中務太輔 …
急度染一筆候、仍自氏政如催促者、以其表之人数、至沼田・厩橋之間、一動所望由候、無拠儀候条、各乍大義、内藤有談合、河東へ可被相勤事肝要候、委曲令附与玄東斎口上候間、不能具候、恐ゝ謹言、 壬十一月九日 勝頼(花押) 浦野宮 …
極月十二日之御懇札、当年昨九日令披見候、条々御懇志本望至極候、仍旧冬於関宿始佐・宮東方之衆、氏政懇望、就此儀、御存分具被露御紙面候、尤子候左衛門大夫ニ申付、氏政具為申聞候様ニ、随分意見可申付候、幸佐・宮和之上者其口之調儀 …
政長復先忠之上、無二相守走廻候者、可為神妙候也、 二月五日 (高基花押) 栃木雅楽助とのへ →戦国遺文 古河公方編558「足利高基書状写」(新編会津風土記四) 政長が先の忠義に復した上は、第一に守って活躍するならば神 …
永々在陣故、自駿州御厨帰宅、先以非無理候、既追日彼陣無勢之上者、以夜継日打越候者、可為感悦候、遅々不可宥曲候、謹言、 四月三日 顕定 矢野安芸守殿 →駿河台大学論叢第40号32「矢野安芸守宛書状写」(紀伊国古文書藩中古文 …
今度河越仁罷立御座候時分、懇申上候、殊ニ鷹進上、御喜悦候、巨細簗廻下野守仰含候、謹言、 六月朔日 [足利晴氏之由]花押 毛呂土佐守殿 →戦国遺文 古河公方編653「足利晴氏書状写」(山田吉令筆記所収家譜覚書) 天文15 …
御上洛之路次如何、無御心元候、抑一心院事、大概無相違候処、去年越州へ罷立以来、彼寺領有違乱之族相煩候、口惜存候、然而系図御上、於其偏失本意候、雖然於時宜者事成候間、門主之御前、公方様被得上意、被差越御代官等御刷候者、定治 …
徳誕蔵主死去、無是非候、然者、相守因幡守、無二励忠信候、■節■之者共江加意見候者、可為簡要候、巨細安西右京亮可申遣候、謹言、 閏十一月廿一日 (高基花押) [宛所欠] →戦国遺文 古河公方編544「足利高基書状写」(常総 …
対当方代々忠儀之上、殊釜形陣以来、別而被捽忠信条、感入候、可諄も同意候き、然間一所可相計由候処、慮外之進退之上、無其曲、雖然非可失其筋目候之間、任本願寺意見、雖少地候、小美野之内古山分并善徳寺分事、先可被相抱候、巨細三富 …
椙山之陣以来、相守憲房走廻之条、神妙之至候、謹言、 九月五日 足利高基ノ由 花押 毛呂土佐守殿 足利高基書状写(戦国遺文 古河公方編606「足利高基書状写」(山田吉令筆記所収家譜覚書)竹井英文氏『千葉史学51号』の釈文に …