対当方代々忠儀之上、殊釜形陣以来、別而被捽忠信条、感入候、可諄も同意候き、然間一所可相計由候処、慮外之進退之上、無其曲、雖然非可失其筋目候之間、任本願寺意見、雖少地候、小美野之内古山分并善徳寺分事、先可被相抱候、巨細三富新衛門尉与倉賀野中務少輔可相届候、恐々謹言、
二月一日
憲房判
鏑木兵部少輔殿
→駿河台大学論叢第41号 12「鏑木兵部少輔宛書状写」(御府内備考続編二)
1511(永正8)年に比定。
当方に対して代々忠義の上、特に鎌形の陣以来、特別に功績を挙げて忠信で感じ入りました。可諄も同意していたことで、いつか一所を渡すことを考えていたところ、慮外の成り行きとなってその実行はなく、その筋目を失うべきではないので、本願寺の意見に任せて小さな土地ではありますが、小美野のうちで古山分・善徳寺分のこと、まず保有して下さい。詳しくは三富新衛門尉と倉賀野中務少輔が届けるでしょう。