急度染一筆候、仍自氏政如催促者、以其表之人数、至沼田・厩橋之間、一動所望由候、無拠儀候条、各乍大義、内藤有談合、河東へ可被相勤事肝要候、委曲令附与玄東斎口上候間、不能具候、恐ゝ謹言、
壬十一月九日
勝頼(花押)
浦野宮内左衛門尉殿
→戦国遺文 武田氏編2395「武田勝頼書状写」(尊経閣文庫所蔵小幡文書)
1574(天正2)年に比定。
取り急ぎ一筆申し上げます。さて、氏政よりの催促によれば、その方面の部隊を使って沼田と厩橋の間でひと作戦所望したいとのこと。よんどころない事情ですから、皆さん大変でしょうが内藤と打ち合わせをして、利根川の東へ出動なさることが大切です。あらましは日向玄東斎に口頭で付与していますから、詳しくは書きません。