1541(天文10)年、武田晴信、父信虎を駿河国に追放する
妙法寺記 此年六月十四日ニ、武田大夫殿様、親ノ信虎ヲ駿河国へ押越申候、余リニ悪行ヲ被成候間、加様被食候、去程ニ地下侍・出家・男女共、喜致満足候事無限、信虎出家被成候而、駿河ニ御座候、 この年6月14日に、武田大夫の殿様 …
妙法寺記 此年六月十四日ニ、武田大夫殿様、親ノ信虎ヲ駿河国へ押越申候、余リニ悪行ヲ被成候間、加様被食候、去程ニ地下侍・出家・男女共、喜致満足候事無限、信虎出家被成候而、駿河ニ御座候、 この年6月14日に、武田大夫の殿様 …
二日、丙辰、晴、牟礼、飯尾長門、甘利佐州、矢部縫殿之中へ一首遣之、同牟礼贈答、 わすれめやかゝる情の花もなを匂ふ千枝の里のかりふし 拾 こゝもけに匂ふ千枝の花なるにかへるさいそく雲の上人 元誠 朝〓(冫+食)以後起藤 …
永禄四年辛酉五月十一日義龍死去、尾軍乱入、 同十三日従尾州乱入、別傳漸ク遁殺害奔出、不知落処、龍谷同前 同辛酉十二月十三日 亀年和尚遷化、 同五年壬戌三月二日 申刻傳燈焼亡、 同 三月十八日 夜於妙心寺 …
永禄九年・十年両年者、庄内江尾州衆切入乱入ニ付候て、八講無之候、 →愛知県史 資料編11「八講牒」(猿投神社文書) 1566~7(永禄9~10)年の2年は、高橋庄内に尾張国の軍勢が侵入して戦闘したため、八講はありません …
1522(大永2)年 刈谷 此国、折ふし俄に牟楯する事有りて、矢作八橋をばえ渡らず。舟にて、同国水野和泉守館、苅屋一宿。 常滑 尾張知多郡常滑、水野紀三郎宿所、一日。野間と云所、義朝の廟あり。 1524(大永4)年 亀山 …
1559(永禄2)年 ○正月甲斐雪水大に民舎田圃を没す(妙法寺記)○十月十六日大雷雨十二月七日雷雨是日甲斐大雨水溢れて人家を没す(御湯殿上日記)○六月炎旱(厳助往年記)○是歳疫疾流行(妙法寺記) 1560(永禄3)年 ○ …
言継卿記 永禄二年二月二日 一、自尾州織田上総介上洛云々、五百計云々、異形者多云々、 2月2日、尾張国より織田上総介が上洛したという。500人ほどを連れ、異形の者が多いという話だ。 永禄二年二月七日 一、尾州之織田上総 …
定光寺年代記 (永禄)三年 五月十九日駿州義元尾州鳴海庄ニテ駿州軍勢一万人被打、 5月19日に駿河国の今川義元は尾張国鳴海庄に出撃、駿河軍勢1万人は討たれた。 醍醐寺理性院厳助僧正往年記 (永禄三年)四月 駿河今川尾州 …
1559(永禄2)年 四月十五日大氷降。十二月七日ニ大雨降。俄ニ雪シロ水出テ。法ケ堂悉皆流レ申候。又在家ノ事ハ中村マルク流シ候無限。 4月15日に大きな氷が降った。12月7日に大雨が降った。急に『雪シロ水』(雪解け水か …