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妙法寺記・勝山記、永禄2~3年の記述

1559(永禄2)年

四月十五日大氷降。十二月七日ニ大雨降。俄ニ雪シロ水出テ。法ケ堂悉皆流レ申候。又在家ノ事ハ中村マルク流シ候無限。

 4月15日に大きな氷が降った。12月7日に大雨が降った。急に『雪シロ水』(雪解け水か?)が出て、『法ヶ堂』がことごとく流されたといいます。また民家では中村が丸ごと流されました。

1560(永禄3)年

二月廿日大雪降。<ツツカイ(筒粥)ニハ何モ不入候得共>鹿島無残被取申事無限候。<此年六月前ハ日ヨリ同六月十三日ヨリ雨降始。来ル十月迄降続候間。耕作以下何モ無之候。>去程ニ巳未ノ年疫病流行。悉人多死無限候。惣而酉ノ年迄三年疫病流行。村郷アキルル無限。導者之事ハ二月ヨリ八月迄参申候。

『妙法寺記』<>内『勝山記』()内編注

 2月20日に大雪が降った。<筒粥には何も入れられませんでした。>『鹿島』が残らず取られたということです。<この年は6月以前は『日和』(天候温順・旱魃?)、6月13日から雨が降り始めた。10月まで降り続けましたので、耕作も何もありませんでした。>去年未年から疫病が流行して、多数の死人が限りなく出ました。総じて酉年まで3年間疫病は流行した。村落は限りなく空き家となった。『導者』は2月から8月まで滞在したそうです。

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