言継卿記
永禄二年二月二日
一、自尾州織田上総介上洛云々、五百計云々、異形者多云々、
2月2日、尾張国より織田上総介が上洛したという。500人ほどを連れ、異形の者が多いという話だ。
永禄二年二月七日
一、尾州之織田上総介晝立歸國云々、
2月7日、尾張国の織田上総介は昼に出発して帰国したという。
醍醐寺理性院厳助僧正往年記
永禄二年三月
尾州織田弾正忠上洛、有雑説俄罷下云々、
3月、尾張国織田弾正忠が上洛したが、不穏な動きが急にあって帰国したという。
→岐阜市史
言継卿記
永禄二年二月二日
一、自尾州織田上総介上洛云々、五百計云々、異形者多云々、
2月2日、尾張国より織田上総介が上洛したという。500人ほどを連れ、異形の者が多いという話だ。
永禄二年二月七日
一、尾州之織田上総介晝立歸國云々、
2月7日、尾張国の織田上総介は昼に出発して帰国したという。
醍醐寺理性院厳助僧正往年記
永禄二年三月
尾州織田弾正忠上洛、有雑説俄罷下云々、
3月、尾張国織田弾正忠が上洛したが、不穏な動きが急にあって帰国したという。
→岐阜市史