検証a13:刈谷城の謎
松井氏功績表を読めばある程度の時期が判明する。つまり、小豆坂合戦と西条攻略の間である。 小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日。西郷弾正左衛門尉宛感状で判る。西条攻略は、大村弥三郎宛感状の1551(天文20)年12 …
松井氏功績表を読めばある程度の時期が判明する。つまり、小豆坂合戦と西条攻略の間である。 小豆坂合戦は1548(天文17)年3月19日。西郷弾正左衛門尉宛感状で判る。西条攻略は、大村弥三郎宛感状の1551(天文20)年12 …
去酉年九月廿日、三河内吉良江取懸遂一戦敵追入、於端城随分之者討捕之旨、甚以神妙之至也、弥可抽忠功之状如件、 天文廿年 十二月二日 義元 大村弥三郎殿 →静岡県史「今川義元感状写」 去る酉年(天文18年)9月20日、三河 …
先年参州小豆坂合戦之刻、味方及難儀之処、自半途取返、入馬敵突崩得勝利、甚以感悦也、此時之出立、筋馬鎧并猪立物也、因茲敵令褒美、於向後分国之武士、彼出立所令停止、若至于違乱之輩者、可加下知者也、仍如件、 天文廿一年 八月廿 …
去三月十九日、於三州小豆坂、織田弾正忠出合、敵味方備処、加下知遂一戦、自身真先入馬、抽軍忠討両度太刀、無比類働甚以感覚者也、仍如件、 天文十七年七月朔日 義元 判 朝比奈藤三郎殿 →静岡県史「今川義元感状写」 去る3月 …
去ル三月十九日、於西三河小豆坂尾州馳合、最前入馬尽粉骨、宗信同前為殿之条、無比類働之儀感悦之至候、弥可被抽軍忠事専要候、仍如件、 天文十七 戊申 年 四月十五日 義元判 松井惣左衛門殿 →静岡県史「今川義元感状写」 去 …
今月十九日、小豆坂横鑓無比類之軍忠被励候、所感候也、為此償其国千貫之地令増知畢、於已後不可有相違、此条明鏡弥可被忠勤之状如件、 天文十七 三月廿八日 義元 西郷弾正左衛門尉殿 →静岡県史「今川義元感状写」 今月19日、 …
高林源兵衛狼藉之砌、屋鋪に相移、其上被官人討死手負数多出来、捨身命存忠節候、太以神妙也、依之、新井喜六郎其方可令與力候、陣番等可為相勤之候、恐々、 永禄三 五月六日 氏真(花押) 神原三郎左衛門殿 →神奈川県史 高林源 …
去月廿三日上野端城之釼先、敵堅固ニ相踏候之刻、最先乗入数刻刀勝負ニ合戦、城戸四重切破抜群之動感悦也、因茲諸軍本端城乗崩、即遂本意候之条、併依得勲功故也、弥可抽忠信之状如件 天文十八 十二月廿三日 義元(花押) 御宿藤七郎 …
於今度安城度々高名無比類動也、殊十月廿三日夜抽諸軍忍城、着大手釼先蒙鑓手、塀ニ三間引破粉骨感悦至也、同十一月八日自辰刻至于酉刻、終日於土居際互被中弩石走等門焼崩、因茲捨敵小口、翌日城中計策相調遂本意之条甚以神妙之至也、弥 …
去月廿三日上野端城乗取刻、任雪斎異見、井伊次郎同前ニ為後詰之手当相残于安城云々、誠神妙ノ至也、殊忠功肝要候、仍如件 十二月七日 義元(花押) ■野安芸守殿 →豊明市史「今川義元感状」(滋賀県 布施美術館) 1549(天文 …