今度右馬允殿就死去、跡職異儀有茂間敷之一札、家康被出候、任其判形、拙夫達而承候間如此候、若此上世上被申懸様共、岡崎任一札其旨可申候、此等之趣各江茂可被仰候、同右馬允殿御息涯分御上候様馳走可申候、一両年駿州ニ雖被留置候、跡等之事、異儀有間敷候、縦岡崎兎角之儀若被申候共、一札之上者、懸身上可申候間、不可有疎略候、家康へ達而可被申候、是又可被任置候、為其如件、

永禄九[丙寅]十一月日

 水野下野守 信元(花押)

牧野山城守殿

能勢丹波守殿

嘉竹斎

真木越中守殿

稲垣平右衛門尉殿

山本帯刀左衛門尉殿

同美濃守殿

  参

→戦国遺文 今川氏編2115「水野信元判物」(牧野文書)

墨の状態・筆の運び等から写の可能性がある。

 この度右馬允殿の死去について、跡目に異議があってはならないとの通達が家康から出されました。その通達の通り、私が特別に承ったので、このようにします。もしこの上、家中で言いがかりをつけられても、岡崎からの通達の通りで『その旨』申すでしょう。これらの趣旨はそれぞれへも仰せになるでしょう。同じく右馬允殿のご子息がお上りになるように可能な限り奔走いたします。一両年駿河国に留め置かれたとはいえ、跡継ぎのことで異議があってはなりません。たとえ岡崎がとやかく言ったとしても、通達があった上は、身上をかけて申しますので粗略にはいたしません。家康へ特別に申し上げましょう。これもまたお任せ下さいますよう。

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2 comments untill now

  1.  高村さん、随分とご無沙汰しておりまして相済みません。このところ体調不良で、来月と再来月にも入院することになっており、水野氏の研究も遅々としてまま成りません。

     さて、いつも水野氏の古文書をお取り上げいただきありがとうございます。久しぶりに貴サイトに伺って、当文書のことをはじめて承知しました。
    この『戦国遺文』今川氏編は、第1~第3巻まで刊行されておりますが、誠に初歩的な質問で恐縮ですが、この中のどの巻のどの当たりに記載されているのでしょうか。
    「今川氏編2115」とは、ページ数のことでしょうか、恥ずかしながらお尋ねいたします。
    よろしくお願いいたします。
     尚 「第4巻」の出版年月日は、2014/04/10 となっていますね。これにも水野氏のことが記載されているのでしょうかね。楽しみにしています。

  2. こちらこそ、ご無沙汰申し上げております。

    この文書は今川氏編第3巻に収められています。ちなみに、牧野右馬允は成定、牧野山城守は定成、嘉竹斎は岩瀬雅楽助、稲垣平右衛門尉は長茂、山本帯刀左衛門尉は成氏と注意書きがしてあります。また、補記としては「本文中「駿州」が今川と考えられ、康成が人質として駿河に留め置かれたと判断されることから、ここに掲げる」とありました。お役に立てれば幸いです。

    第4巻は増税後の発売というちょっと泣ける状況ですが、近所で贔屓にしている書店に入り次第購入します。人名索引もついているそうなので、水野氏文書の所在はすぐ判ると思いますよ。

    歴史道楽は気長に進めるのが一番です。くれぐれもお身体ご自愛のほど。またのコメントをお待ちしております。