ちょっと偉そうなことを書いてみる。

論文を書いた訳でも著作を世に問うた訳でもない、それどころか史学を学んだこともない身では無謀だと思うが、ネットの片隅ででも指摘しておきたい。

結論ありきの仮説を思いついて、「これなら色々と説明がつきそうだ」と立論してみるのは問題がない。「『椙山之陣』=『杉山城』だとしたら、杉山城問題へのアプローチが変わるかも」という仮説はOKだと思う。

しかし、その仮説を更に客観的に見て磨くことがないと恣意が過ぎる、つまり「都合のよい論点だけ強調し、都合の悪い論点は語らない」という悪論になる。

『戦国前期東国の戦争と城郭~「杉山城問題」に寄せて~』で竹井氏が「文献史学からのアプローチがほとんどないという点が何より問題」「丹念に文献を読み込んで明らかにする作業こそが基本であり必要」としながら、自らが引用した『戦国遺文 古河公方編』に掲載されていた6点の「相守」類似文書への言及がない。これは奇妙に感じる。「文献史学」を標榜するなら、古文書に目を通すのは当然なのに。

また、このことに縄張り論・考古学の諸氏からの指摘も管見の限り見られない。『戦国遺文』は書店でも購入できるし大きめの図書館なら置いてある。しかも古河公方編は1冊なので、1時間もあればざっと目を通すことは可能だろう。余りに横着ではないか。

何故に古文書を等閑にするのか?

「椙山之陣」と書かれた書状が出てきただけで、それを「杉山城問題」に直結してしまう短絡さはどこから来るのだろう。文書が他とどう連携しているのか、「椙山」「杉山」という地名はどういう文書で出てくるのか……それらをクリアしなければ、椙山之陣=杉山城問題とはならない。

それこそ、竹井氏が指摘する「丹念に読み込む」作業が欠如している。できるだけ文書の解釈を遠ざけたいという秘かな意図すら感じられる。

この辺の事情は、戦国時代の史料を体系的に分析した解釈用例集がないという点に起因すると思っている。全体の流れを掴むには、逆説的ではあるが、1点ずつ古文書を解釈していくしかない。その蓄積がないために、類例探しや比較が疎かになっているように感じられる。

そもそも用例集がないというのは、学問の入り口にいる者は大変困る(研究家として既に名を成している方は多数の文書を読んで覚えているのだろうけれど)。『時代別国語辞典』があるにはあるが、語彙も文脈によって変わるものだから、やはり用例が豊富にないと修得は難しい。初心者から言えば、根拠とする文書1つ1つを、その研究家がどう読んだか書いておいてほしい。しかし、それを試みているのは『戦国のコミュニケーション』(山田邦明氏)、『武田信玄と勝頼』(鴨川達夫氏)、『戦国時代年表 後北条氏編』(下山治久氏)ぐらいでしかない。

ではどうすれば?

きちんと逐語訳のような形で残していかないと、後進も同じ時間を費やして解釈に取り組まなければならず、長い目で見ると無駄が増えてしまう。伝統工芸の秘伝技みたいな状況を何とか変えた方がよいのではないか。せめて何らかの公的DBのようなものを用意して、「自分の著作で使った文書は、ここに解釈文を載せること」という決まり事を作るとか。

現在話題になっているSTAP細胞論文を調べた際に、生物学では実験の生データを登録する公式DB(NCBI Databeses)があると知った。これが史料研究でもほしいと切実に感じた。

1文書の比定(場所・年・人物)がずれると、必然的に他の文書にも一斉に影響が出るわけで、それが武田とか後北条とかの権力ごとに分かれた現状の研究体系では拾い切れない……というかデジタル技術が使えるのだから拾えるようにしてほしい。

統一DBでは解釈を巡っては論争が絶えないだろうけど、用例が増えていけば止揚して細かい点まで解釈を掘っていけると思う。

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