十日之註進状、今日十一[酉刻]到来、仍当口之様躰度ゝ申届候、不参着候哉、唐貝山責落、則当地高坂へ寄陣就而、秩父郡日尾之城南図書乗取、属味方候、依之、人数を分、荒○を打越成働処、天神山自落、彼谷之事、一返属本意候、其外討儀数多候、密事ニ候間、不及申候、一 先刻モ以幸便申候、河越へ可被移候、其地をは、遠山へ能ゝ可被申合候、一 下総口之事、味方中無相違候哉、肝要候、恐々謹言、
九月十一日
氏政花押
太田新六郎殿
→小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏政書状写」(士林証文二)
1561(永禄4)年に比定。
10日の報告書が、今日11日の酉刻に到着。この方面の状況は度々お届けしたと思いますが、届かなかったでしょうか。唐貝山は攻め落とし、ついでこの高坂へ陣を寄せるに当たり、秩父郡日尾城を南図書が乗っ取りこちらの味方になりました。これによって部隊を分け、荒川を渡河して展開したところ、天神山が開城、あの谷のことは一変して本意に属しました。そのほか打ち合わせたいことは多数ありますが、機密事項なので申しません。
一、先刻も幸便で申しましたが、川越に移動していただき、その地では遠山と詳しくご相談下さい。一、下総方面のこと、味方の陣営に相違はないでしょうか。大事なことです。