葛西へ敵動ニ付而、新六郎敵陣へ移由候、家中儀一段無心元候、寄子・加世者事不及申、中間・小者迄相改、葛西へ不紛入様可申付候、若又其地江敵動候者、為始両人悉妻子を孫二郎ニ相渡、中城江入候て、可走廻候、先忠此時候、恐々謹言、
正月朔日
氏康(花押)
太田次郎左衛門尉殿
恒岡弾正忠殿
→小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏康書状写」(楓軒文書纂五十三)
1564(永禄7)年に比定。
葛西へ敵が動いたことについて。新六郎が敵陣に移ったとのこと。家中のことが一段と不安に思います。寄子・加世者は言うまでもなく、中間・小者に至るまで調べて、葛西へ紛れ込まないように指示して下さい。もしそちらへ敵が動いたならば、お二人を始めとして妻子ことごとくを孫二郎に渡し、中城へ入って活躍して下さい。以前の忠義を果たすのはこの時です。