御返事ニ候へ共、此御つかいかへりまいらせ候ほとに、一ふて申まいらせ候、まりやつしん地ニきんこくさい人しゆをこし候事も、しかゝゝとしりまいらせ候ハす候、まりやつなんきのよし申こし候時ハ、人しゆこし候とハ申候へ共、たれ人ゆき候共、そんし候ハす候、これへまいり候てよくきゝまいらせ候ほとに、とても■ほうおんの事にて候間、おなしくハこれをも御たすけ候て、以後御やうにも御たて候へかなと申、御わひ事にて候、まへに申候ハす候御事ニて候へハ、もちろんふかくハ申まいらせ候ハす候、此よしたれニても御ひろう候て可給候、あなかしく、
五月廿四日
ほうてう
うち綱(花押)
東慶寺
いふ侍者
→小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏綱書状」(東慶寺所蔵)
1537(天文6)年に比定。
お返事しようと思いましたが、このお使いの者が帰るというので、一筆差し上げます。真里谷新地に(大藤)金谷斎の部隊を派遣したことも、詳しくはお知らせしていませんでした。真里谷で難儀しているようだと申した時は、部隊を送ったとは言いましたが、誰が行ったかは知りませんでした。こちらに来てよくよくお聞かせいたしますので、御報恩のことでありますから、同じようにこちらもお助けいただき、以後は御用にもお立ていただければとのお願いです。前に申していなかったことなので、当然強くは申せません。これは誰にご披露なさっても構いません。