十三日、戊辰、天晴、正月中、自大方小袖、織物、袷、浅黄、一重、○賜之、今日之会始ニ可着之由有之、今日之懐紙調之、如此、
詠遐齢如松倭歌 正二位言継
生さきのいつれたかけむ子日せし松の千とせに君か千とせは
次飯尾長門守所ヨリ昨日之礼ニ使同心、にて、又会ニ八時分可罷出之由大原伊豆守申云々、次時分三条亜相へ罷向、大原伊豆守、飯尾若狭守迎ニ来、但被返之、三、予、時衆勝路令同道五郎殿へ罷向、先予ニ各礼申、葛山左衛門佐、富樫次郎、三浦上野介、進藤ゝゝゝ、岡辺太郎左衛門、神原右近、粟屋左衛門尉若州武田内牢人也、朝比奈丹波守等也、次各懐紙置之、次富樫民部少輔被読揚之、次盃出、初献蒸麦、羊〓(食+干)、吸物、ニ献土器物二、ニテ及数盃、相伴衆三、予、五郎、惣持院勝路、富樫次郎、葛山左衛門佐、富樫民部少輔、最勝院、木村左衛門大夫、一宮出羽守、三浦上野介、沢路隼人佑、斎藤佐渡守、粟屋左衛門尉、進藤三川守、岡辺太郎左衛門、神原右近、大原伊豆守、朝比奈丹波守、孝甫、観世十郎大夫、同次郎大夫、同神六等也、猿楽三人音曲有之、申下刻罷帰了、
→静岡県史「1557(弘治3)年 正月十三日」(言継卿記)
13日戊辰、晴れ。正月中。大方より小袖・織物・袷(浅黄・1重)を賜る。今日の歌会始に着るようにとのこと。今日の懐紙を準備する。(和歌部分略)次いで飯尾長門守のところより昨日の礼に同心を使いに出してきた。使いから聞くには、会へ『八時分』で出立すると大原[小原]伊豆守に告げたという。次の時分に三条亜相宅へ向かう。大原伊豆守と飯尾若狭守が迎えに来た。但しこれは返され、三条亜相と私で、時衆の勝路を同道させて五郎殿[氏真]宅へ向かった。まず各々が私に礼を言う。葛山左衛門佐・富樫次郎・三浦上野介・進藤某・岡辺[岡部]太郎左衛門・神原[蒲原]右近・粟屋左衛門尉(若狭国武田家の牢人である)・朝比奈丹波守たちである。次に各々が懐紙を置き、富樫民部少輔が読み上げを行なう。ついで盃が出され、最初の献立は蒸麦と羊羹、吸い物。二番目の献立は土器物2品で数盃に及ぶ。ご相伴したのは三条亜相と私、五郎、惣持院勝路、富樫次郎、葛山左衛門佐、富樫民部少輔、最勝院、木村左衛門大夫、一宮出羽守、三浦上野介、沢路隼人佑、斎藤佐渡守、粟屋左衛門尉、進藤三河守、岡辺太郎左衛門、神原右近、大原伊豆守、朝比奈丹波守、孝甫、観世十郎大夫・次郎大夫・神六などである。猿楽3人の演奏があった。申下刻(17時頃)に帰った。