太田資正、小仏谷に制札を出す
「制札」 於小仏谷、当手甲乙人等濫妨狼藉之事、 右、至于違犯輩者、可処罪科状、如件、 永禄四年 辛酉 二月晦日 資正(花押) →上越市史 別編1「太田資正制札」(薬王院所蔵文書) 禁制。小仏谷において、当方の軍勢関係 …
「制札」 於小仏谷、当手甲乙人等濫妨狼藉之事、 右、至于違犯輩者、可処罪科状、如件、 永禄四年 辛酉 二月晦日 資正(花押) →上越市史 別編1「太田資正制札」(薬王院所蔵文書) 禁制。小仏谷において、当方の軍勢関係 …
如来意、去秋大嶋越候砌、可遂面談之由存候処、不例故無其儀候、無念候、仍近日氏康為合力関東へ出馬候間、岩付家中弥堅固之異見肝要候、猶飯富源四郎可申候、恐々謹言、 十月廿九日 信玄(花押) 遠山三郎兵衛入道殿 →神奈川県史「 …
猶々、如蒙仰、例式罷過疎遠候、全心底非無沙汰候、何様自是御礼可申達候、 依毎事取乱、遥不申達候条、内々可及御音信覚悟候処、遮而御懇書、殊料紙如員数被懸御意候、遠来一入秘蔵、辱畏入候、今度当口動事、早速御出馬故、此国過半 …
就向北条左京大夫在所小田原之地及進陣、去廿一、至于榎本被出御馬、早速可有御着陣之由、預御札候、今日廿七披見、兼日之仰合、首尾与云、自他覚本望畏入候、委曲之旨、太田美濃守可申達候条、不能具候、恐々謹言、 三月廿七日 景虎( …
(前欠) 五百六十四人 右、役所之定可為如此候、掟書物、始中終板ニ顕之、厩橋之地ニ定置候間、彼文言聊無相違、厳密ニ可被申付候、仍如件、 甲申 二月十二日 上総入道殿 遠山修理亮殿 木部宮内助殿 小幡左衛門大夫殿 和田左衛 …
就今度憲当入国令供奉、此口在陣、依之、常・野両国諸家中、其外出張之儀、度々雖及催促候、遠境故歟、其首尾于今遅々、然者、乍御大儀、彼口へ打御越、各被引立簡要候、上・武之衆、悉被復先忠候、様躰之事、委細御見聞之趣、御伝話専一 …
当郡三浦之内上宮田于て、竹木切取者有之者、即当津三崎へ可申上候、其方我々被官ニ付而、侘言無余儀間、判形出置候、舟衆へも度々此旨趣申届候間、無躰ニ背此法度、切取輩有之者、急度召連当地可来候、遂其糾明、可処其科者也、仍状如件 …
就敵久留里張陣、御越山之儀申入処、早速去月上旬被発進御旗、明間・岩下・沼田之城被攻落、為始北条孫次郎、宗者数百人被討捕、白井・惣社・蓑勾悃望之段風聞、目出度奉存候、時茂年来之願望此時候、然間、関東静謐不可移時日候、弥以被 …
「定条々」 一、来十日陣夫を相集、早速可出馬候、弥支度可被申付事、 一、其方者温気之砌ニ候間、此度者出陣被相止、留守尤候、人数之仕分之様子者、着到之内百人足柄、廿人其方ニ付置、貮百人参陣、可為此分候、然者此仕分悉記交名、 …
「制札」 於相刕鶴岡八幡宮社内、当手軍勢甲乙人等、濫妨狼藉之事、 右、至于違犯之輩者、可被処罪科之状如件、 永禄四年辛酉 三月廿二日 資正(花押) →鎌倉市史 史料編「太田資正禁制」(鶴岡八幡宮文書) 制札(禁止条項) …