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正木時茂、上杉輝虎の関東侵攻を評価し将軍内意を問う

就敵久留里張陣、御越山之儀申入処、早速去月上旬被発進御旗、明間・岩下・沼田之城被攻落、為始北条孫次郎、宗者数百人被討捕、白井・惣社・蓑勾悃望之段風聞、目出度奉存候、時茂年来之願望此時候、然間、関東静謐不可移時日候、弥以被廻計策、急度御落着簡要候、兼亦、去年御上洛之砌、従 公方様裏書御免候哉、奉得其意候、巨細於口上申含候、此由可得御意候、恐々謹言

永禄二ノ状

十月二日

時茂(花押)

越府 人々御中

→神奈川県史「正木時茂書状写」(歴代古案三)

1560(永禄3)年に比定。

 敵が久留里に出撃した際に越山をお願いしたところ、早速先月上旬に旗を進められ、明間・岩下・沼田の城を攻め落とし、北条孫次郎を始めとする主だった者数百人を討ち取りました。白井・惣社・箕輪も懇望しているとの噂で、めでたいことです。時茂年来の願いが叶うのもこの時です。ということで、関東の鎮圧は時間の問題でしょう。更に作戦を練って、取り急ぎ落着させることが肝要です。そしてまた、去る年上洛され、将軍から許諾を得ているとのことですが、その意を承りたいものです。詳細は口頭でお伝えします。このことは御意を得たく思います。

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