追而 一樽一種進之候
久不能音問候、抑去年就越衆令出張、太田美濃守・成田下総守、忘年来重恩、度ゝ背誓句血判旨、忽企逆心事、誠以無是非候、抑近年当方為可静遠国弓箭、為始左衛門大夫、宗面ゝ向地指置、手本ニ人数無之付而、備不及了簡、城ゝ引籠躰、無念千万候、然間、国中乱入故、山野躰経年月ハ、弥侍・人民共可退転間、至于来秋者、一途ニ一戦落着候、甲州晴信同意候、然者、於一戦可得勝利致様、又者仏神三宝願力、如何様ニ可有之候、老師可任御意見候、就中関宿様御事迄、(後欠)
→戦国遺文 後北条氏編 「北条氏康書状」(箱根神社文書)
1561(永禄4)年に比定。
ご無沙汰しております。そもそも、去る年に越後衆が出撃してきた際、太田美濃守と成田下総守が年来の恩義を忘れ誓文や血判の内容に背きました。本当に是非もないことです。近年は我々も遠い国の紛争を沈めるために北条左衛門大夫をはじめとする主要な面々を派遣しており、手元には人数もおりませんでした。結果有効な手段も行なえず城に引きこもる状態となり無念千万でした。ということで国中に乱入されてしまったので、山野が荒らされ戻るまでに時間がかかりますから、いよいよ侍・人民が逃げ去って行くでしょう。来る秋になったら、一途に決戦を挑むことに落着して、甲斐国の武田晴信も同意しました。ですから決戦で勝利できるように、または仏神三宝の力を、どのようにするべきか老師のご意見に任せましょう。特に関宿様(足利義氏?)のことまで(後欠)