5月
22
幸便間、令啓候、於御当地無二被遂忠信、被尽粉骨段、御高名之至、誠以不及是非次第候、然者、早ゝ可出馬候処、両総相調子細依有之、令遅ゝ候、此上ハ急度致出陣、葛西筋儀、涯分可走廻候、条ゝ義板橋申含候処、路次不自由故、于今江城逗留、無曲候、恐々謹言、
卯月十五日
氏康(花押)
野田殿
→戦国遺文 後北条氏編 「北条氏康書状写」(野田家文書)
1560(永禄3)年に比定。
幸いにして伝手があったのでお便りします。ご当地において無二の忠信を遂げ大活躍されたとのこと。ご高名の至りであり本当に是非もないことです。早々に出馬しようとしたところ、上総・下総の調整で問題があり遅れています。この上は取り急ぎ出陣して、葛西筋のことは頑張って奔走します。それぞれのことは板橋に申し含めています。連絡路が不自由で現在は江戸城に留まっています。宜しくない状態です。
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