伊勢神宮の遷宮実績表
近年仮殿当職執行 一高宮 自今川殿造進、永正十八年十二月遷宮、大永改元事 一土宮 自京都、丙戌年六月セんくう、 一月読宮 今川殿ヨリ天文六十月三日遷宮、 内宮別宮仮殿、同前、 一風宮 甲斐武田殿ヨリ天文 …
近年仮殿当職執行 一高宮 自今川殿造進、永正十八年十二月遷宮、大永改元事 一土宮 自京都、丙戌年六月セんくう、 一月読宮 今川殿ヨリ天文六十月三日遷宮、 内宮別宮仮殿、同前、 一風宮 甲斐武田殿ヨリ天文 …
就今度三州錯乱、為各雖令逆心、不准自余、於牛窪抽奉公、殊城米令取替、并塩硝鉛百斤城下入置之由、朝比奈摂津守言上、神妙也、然而去年吉田雑説之時分、天慮方へ依令内通、彼城于今堅固之儀、是又忠節也、因茲一所於何方茂、見合可宛行 …
預御札候、厥以来者遠路故不申通候、仍不慮之仕合義元討死無是非次第、不可過候推察候、拙者儀者最前鉄鉋ニ当不相其仕場候、雖然至于只今存命失面目候、就中当屋形可有御音信之旨候、拙夫于今三州在陣之儀候条、帰国之上令披露、久遠寺江 …
当知行分之事 一所 鎌田原 一所 庄安西之内芝 一 弐拾七石九斗 一 拾九石余 一 四拾俵 一 定夫 以上 右者、五月十九日於尾州天沢寺殿御討死之刻、父輝以無比類令討死段甚以忠節之至也、因茲任先判形之旨、当知行分 …
今度不慮之儀出来、無是非候、然者当城之儀、堅固申付之由喜悦候、軈而可出馬候、猶三浦内匠助可申候、謹言 五月廿五日 氏真(花押) 天野安芸守殿 →豊明市史「今川氏真書状」(天野文書) この度思いがけない事態が発生しました …
就同名安芸守岩小屋在城令扶助、米銭之内四分一配当之段領掌了、弥可抽忠切者也、仍如件、 永禄元 戊午 年 八月廿日 治部大輔 判 天野小四郎殿 →静岡県史 資料編7「今川義元判物写」(天野文書) 同じ苗字の安芸守が岩小屋 …
遠江国所々知行分、同国代官職事 右、任代々判形、父貞宗譲与之旨、永領掌不可有相違、并野辺・二俣御厨等不入事、是又所任先判也、但除棟別、縦増分雖為出来、令収務可増知行役、守此旨、弥可抽忠信之状如件、 永禄弐 己未 年 二月 …
去々年信州江富士下方之人数為甲州之合力差遣之処、就井出甚右衛門尉煩、一宮出羽守仁相断令帰陣、彼煩終不平癒令死去之上、廣瀬三右衛門尉并土橋彦三郎為訴人構虚病致帰陣之旨訴出之条、双方遂裁断之処、一宮出羽守為証文之間尋之令糾明 …
「簗瀬九郎左衛門尉殿 氏真」 今度当城堅固爾相踏、殊於両度遂一戦、為初奥平久兵衛尉・鱸九平次、随分者数多討取段、甚以感悦之至也、然者本知行・新知行、先判爾有之由申之条、任其儀訖、但新地之事者、敵地切出次第、可令所務、縦先 …