今川義元、遠江国頭陀寺に禁制を発す
禁制 一 殺生事 一 山林伐取竹木事 一 於寺中并門前狼籍之事 右、於違犯之輩者、忽可被処厳科、仍如件、 天文十四年二月十五日 頭陀寺 →戦国遺文 今川氏編「某禁制」(頭陀寺文書) 『静岡県史料』第五輯によれば今川家のも …
禁制 一 殺生事 一 山林伐取竹木事 一 於寺中并門前狼籍之事 右、於違犯之輩者、忽可被処厳科、仍如件、 天文十四年二月十五日 頭陀寺 →戦国遺文 今川氏編「某禁制」(頭陀寺文書) 『静岡県史料』第五輯によれば今川家のも …
(今川義元花押) 禁制 一 山林竹木伐取事 一 殺生其外致狼藉事 一 領主寄進之田畠等、他之綺違乱事 右、於違犯之輩者、所可処厳科如件、 天文十四[乙巳]年正月廿五日 静居院 →戦国遺文 今川氏編「今川義元禁制」(島 …
[印文「義元」I型] 遠江国万石之内六郎左衛門屋敷、先年信州衆相動時、彼屋敷足懸之間、従前々屋敷之内棟別免許云々、然者五間分停止諸役畢、自然之時者、相当之奉公可致之旨、可被申付者也、仍如件、 天文十三[甲辰] 二月十九日 …
書状具披見候、なくるミへ矢たけ之権現山取立儀、難成子細候、度ゝ模様不審ニ候、留守中ニ而、自元人衆も可為不足候、普請心易させて、真田者置間敷候、如何様之品ニ候哉、委細ニ成絵図、重而早ゝ可申越候、一段無心元候、謹言、 卯月廿 …
任幸便呈一翰候、抑今度中山地、其方兼而如演説、早ゝ落居、誠感悦不少候、此上沼田口吾妻表一途有之様ニ、御稼可為肝要候、将又任現来、一樽一種、進之候、恐々謹言、 「表 ○」 正月六日 氏政(花押) 一井斎 →小田原市史「伊佐 …
伝馬五疋可出候、鉢形へ被召寄まいゝゝニ被下、可除一里一銭者也、仍如件、 戊子[「常調」伝馬朱印] 十二月十八日 宗悦 奉之 小田原より 鉢形迄宿中 →小田原市史 史料編「北条家伝馬手形写」(相州文書 足柄下郡音曲舞大夫所 …
伝馬四疋可出之、中山ニ被下、可除一里一銭者也、仍如件、 己丑[「常調」伝馬朱印] 十二月廿六日 江雪 奉之 自小田原沼田迄 宿中 →小田原市史 史料編「北条家伝馬手形」(本間順治氏所蔵文書) 己丑は1589(天正17)年 …
御札披見、本望候、抑今度之様子、案外至極候、已前以鈴木、氏直申達候キ、能ゝ初中後有御工夫、可然様ニ御取成専要候、何篇ニも氏直無表裏所、分明可被仰立事、年来之筋目此節候、悉皆貴老可有御指引候、恐々謹言、 十二月九日 氏政( …
従京都之御書付給候、并御添状具披見、内ゝ遂一雖可及貴答、還相似慮外候歟之間、先令閉口候、畢竟自最前之旨趣、貴老淵底御存之前、委細被仰候者、可為本懐候、猶罪之被糾実否候様所希候事、一両日以前以使申候キ、津田・冨田方へ申遣五 …
条目 老父上洛遅延由、御立腹ニテ、到沼津下向、一昨六日之御紙面、案外候、抑去夏妙音院・一鴎軒下向之刻、截流斎於罷上儀ハ勿論候、併当年者難成候、来春度之間可発足之由、条ゝ雖御理候、不可相叶旨、頻承候、公義ノ事、不及了簡、極 …