北条氏照、某に、武田晴信の駿河侵攻と今川氏没落を伝え、同盟を打診する
雖思慮不浅、馳愚札候、抑駿・甲・相更不離御間ニ候処、無意趣茂、以国競望之一理、今般自甲駿州へ乱入候、然ニ当方江之表向者、駿・越申合、信玄滅亡之企被取成候、此処慥承届之間、此度及手切之由、自甲被申越候、然則貴国へ内通故歟、 …
雖思慮不浅、馳愚札候、抑駿・甲・相更不離御間ニ候処、無意趣茂、以国競望之一理、今般自甲駿州へ乱入候、然ニ当方江之表向者、駿・越申合、信玄滅亡之企被取成候、此処慥承届之間、此度及手切之由、自甲被申越候、然則貴国へ内通故歟、 …
廿六日之一札、同申刻到来候、垪和かたへ被申越筋目、尤ニ存候、就中、御煩故今日無参府候哉、如露先書、三郎送衆物主間、無日数候条、此方ヘ御越御無用候、委細進藤口上ニ可申候、恐々謹言、 三月廿六日 氏政(花押) 源三殿 →小田 …
今度右馬允殿就死去、跡職異儀有茂間敷之一札、家康被出候、任其判形、拙夫達而承候間如此候、若此上世上被申懸様共、岡崎任一札其旨可申候、此等之趣各江茂可被仰候、同右馬允殿御息涯分御上候様馳走可申候、一両年駿州ニ雖被留置候、跡 …
遠江国濱松庄内東漸寺領分田畠屋敷等事 右、飯尾豊前乗連為母菩提、停止棟別・反銭・諸役永令寄附云々、然処、去子年四月八日飯尾与松平蔵人令対面砌、鷲津本興寺江蔵人軍勢令乱入、其時彼寄進状於老師庵室粉先之由、只今以誓句言上之間 …
遠江国於引間領之内出置知行之事 右、父正俊年来別而令奉公云、殊去年飯尾豊前成敗之刻、捨身命令忠節云、為感悦之間、万疋永所宛行也、守此旨、弥可抽奉公之状如件、 永禄九[丙寅]年 四月廿七日 上総介(花押) 三浦与次殿 →戦 …
一、壱本 松曲輪 一、すきつ ―― 一、馬場 ―― 一、御方 ―― 一、同はしろ ―― 一、はらまへ向長 ―― 一、中島 一、御かたへおもての分 一、八幡 ―― 一、新 ―― 一、ふしいろ 曲輪此分とり入分、一、御かまえ …
徳倉之普請、川一瀬ニ候間、則打越見届、大積を明鏡ニ致尤候、謹言、 八月十三日 氏政(花押) 岡本越前守殿 →小田原市史 史料編1383「北条氏政書状」(服部玄三氏所蔵手鑑二) 天正9年に比定。 徳倉の普請は、川が一瀬 …
岡本知行吉岡郷、於自今以後、如何様ニもはやすへし、為其[無?]虎之印判、かり染にも剪候者、可為曲事、押而剪者有之者、可申上者也、依如件、 天正四年[丙子]七月三日 海保奉之 岡本越前守殿 →小田原市史 史料編1225「 …
廿二日之文、廿三[酉口]披見、普請積見届候、 一所ニこそより候物なれ、高山之上ニ付芝迄可致積ハ、何事ニ候哉、近比うつけたる致様ニ候、一井ツゝなとハ、時分時刻ニこそより候へ、来年しても来ゝ年しても不苦、井ツゝなとをふしんの …
同十弐年亥 一、拾壱才之時。毛呂長兵衛と申牢人へ、手ならいニ参候。并ニうたいをならい申ニ、うたいそこない候へばはづかしき也。此師匠手前成兼候間、父母ニかくし、薪を自身はこび、かうりよく仕候へば、内義、茶の湯木をもらい候と …