今川氏真、篠田弥五郎に、三河挙母城などでの戦功を賞し、所領を与える
先年於衣之城依令忠節出置本給、并上野・広瀬逆心之刻於当城走廻之条、以広瀬領之内為新給令扶助之旨、任先判形畢、永不可相違、縦広瀬雖令赦免不可及異儀、守此旨弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄三[庚申]年 七月廿八日 氏真(花押 …
先年於衣之城依令忠節出置本給、并上野・広瀬逆心之刻於当城走廻之条、以広瀬領之内為新給令扶助之旨、任先判形畢、永不可相違、縦広瀬雖令赦免不可及異儀、守此旨弥可抽忠功者也、仍如件、 永禄三[庚申]年 七月廿八日 氏真(花押 …
自筆之尊翰■■■本望候、先々被得■■■珍重候、西尾之御事、大方御心得候哉、義■御造意不及■■■、即時ニ御舎弟長三郎殿為人質緒川へ御越候而、緒川・苅屋之■■西尾城へ被入候、何御不足候哉、不能分別候、下ニ而ハ大河内・富永与十 …
信心志も人の意持もいつくもゝゝかハらぬ物にてこそ候へ、京都ハ山門と和談とやらんの様に成候而、心安勤行をも諸法花共ニせられ候よし候、当宗の事、入らく次第の事にて候、過分に代物を仕候而、これほとにも成たる■■候、本禅にも負物 …
当城江令供相越趣、無比類之処ニ、相州■■可走廻由、弥以感悦也、猶以不準自余■引立召使可申候、仍如件、 正月十五日 氏真(花押) 四宮惣右衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編2249「今川氏真感状」(第七回錦糸町西武大古本市出 …
懸川此時ニ候、早々被相移彼国之模様聞届、如何様ニも早々可被成候、其方之一左右聞届可令出勢候、恐々謹言、 卯月廿八日 氏政判 岡部和泉守殿 →戦国遺文 今川氏編2358「北条氏政書状写」(国立公文書館所蔵土佐国蠧簡集残編 …
今度就錯乱、自最前当城為音信相越、殊山中方々走舞令忠節之条、甚以怡悦之至也、為其賞久野脇郷、為新知行所出置也、若雖有競望之輩、今度依忠節宛行上者、一切不可許容、守此旨、弥可抽奉公者也、依如件、 永禄十二[己巳]年 三月廿 …
正月十八日於遊野地、敵壱人討捕由、誠高名之至候、氏真御本意之上、御感候様ニ可申立候、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月廿三日 氏政(花押) 鈴木助一殿 [包紙ウハ書]「鈴木助一殿」 →戦国遺文 今川氏編2321「北条氏 …
昨十三夜、於薩埵山、敵夜懸之刻、敵壱人針宇文六与合討、高名感悦候、弥可竭粉骨者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月十四日 (北条氏政花押) 多田新十郎とのへ →戦国遺文 今川氏編2311「北条氏政感状」(多田文書) …
正月以来度々竭粉骨、去二日於上野筋敵二人討捕候、高名之至感悦候、氏真御本意之上申立可加忠賞者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月八日 氏政(花押) 井出甚助殿 →戦国遺文 今川氏編2308「北条氏政感状」(井出文書) …
今廿八日、於薩埵山敵置伏兵、玉縄衆尺木剪追上候処、其方抽而被走廻、追崩、敵数多討捕候、誠高名之至感悦候、弥可竭粉骨状如件、 永禄十二年[己巳] 二月廿八日 氏政判 間宮彦次郎殿 →戦国遺文 今川氏編2295「北条氏政感 …