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今川義元、荒川某に、西尾の吉良義昭離反後の政治情勢を伝える

自筆之尊翰■■■本望候、先々被得■■■珍重候、西尾之御事、大方御心得候哉、義■御造意不及■■■、即時ニ御舎弟長三郎殿為人質緒川へ御越候而、緒川・苅屋之■■西尾城へ被入候、何御不足候哉、不能分別候、下ニ而ハ大河内・富永与十郎両人張本人之由申候、荒河殿幡豆・糟塚・形原堅固候、何も別而馳走候、可御心安候、猶々無油断御養性簡要候、重■■■■■■、恐々■■、

十月廿三日

 義元(花押)

荒■■■■■

  ■■■

→愛知県史資料編14 補198「今川義元書状」(江川文庫所蔵文書)

弘治元年に比定。

 自筆のご書状(をいただき?)本望です。まずは(贈り物?)をいただき珍重です。西尾の御事は大方お心得いただきましたでしょうか。義(昭?)のご謀叛は(思慮に?)及びません。すぐにご舎弟長三郎殿を人質は緒川へ送り、緒川・刈谷(の者は?)西尾へ入られました。何の不足がありましょうか。よく判りません。下では大河内と富永与十郎の両人が張本人だと言っています。荒川殿は幡豆・糟塚・形原を堅固に守り、何れも特に奔走しました。ご安心下さい。更にまた油断なくご養生されるのが大切です。重ねて(某が口上を述べる?)。

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