松平和泉守、田嶋新左衛門尉に情報を与えて指示を下す
猶以御辛労難申尽候、時分柄と申、すいりやう申候、 急度申候、仍従御奉行其方へ依御理候、細川衆めしつれられ、早々御移、外聞実儀畏入候、此等趣、良善へ申入候、定而可被仰候、然者竹千世・吉田之内節々御心遣、別而無御等閑しるし …
猶以御辛労難申尽候、時分柄と申、すいりやう申候、 急度申候、仍従御奉行其方へ依御理候、細川衆めしつれられ、早々御移、外聞実儀畏入候、此等趣、良善へ申入候、定而可被仰候、然者竹千世・吉田之内節々御心遣、別而無御等閑しるし …
急度申候、松知泉長々就在府被成候、彼家中申事候哉、殊舎弟次右衛門方種々之被申様候、此方にてハ山新なと被取持、三内被頼入候、先日同名攝津守方被罷越候、内々談合ける由其沙汰候、雖然 上様御前無別条候、只今大給用心大切之旨、 …
大和田江相動、惣兵衛構相落、当地悉令放火、敵一両人討捕、注進状令披見候、快然候、手負少々雖有之、不苦之由尤候、近日出馬候之条、期其時候、恐々謹言、 十二月廿日 氏真 判 奥平監物殿 →静岡県史 「今川氏真感状写」(松平奥 …
今度金屋取出之刻、敵相動、無指引退散各粉骨故候、殊自最前有着陣、普請早速出来馳走之段、祝着候、猶各より可申越候、恐々謹言、 八月九日 氏真 判 奥平監物入道殿 →静岡県史 「今川氏真感状写」(松平奥平家古文書写) この …
今度菅沼新八郎令逆心之処、不致同意、従野田牛久保江相退無二忠節馳走之段、甚以神妙之至也、為其賞従来年代官職一所可申付之、然者以他之地内弐拾貫文、為新給恩可扶助也、弥於励奉公者、重而可加扶助者也、仍如件、 永禄四 辛酉 年 …
(今川氏真花押) 今度菅沼小法師赦免之儀、馳走神妙也、然者設楽三郎以知行之内百五拾貫文加扶助畢、守此旨、弥家中之者共加異見可抽忠節之状如件、 永禄五 壬戌 正月十四日 菅沼次大夫殿 →静岡県史資料編7 「今川氏真判物写」 …
一今度赦免之上、近年父大膳亮令所務本地、悉令還附事 一為新知行設楽三郎以本領之内弐貫文令扶助事 一家中之者、近年於蔵前借儀雖為無沙汰、赦免之上者、自余之借儀寺方共不可及其沙汰、但当乱令味方者共手前之儀者、以本分可返弁事 …
乍恐申上候意趣者、於致実全不企謀叛、去頃三州発向之砌、致実有食送状者歟、徳川殿一味之由致讒言、依之可被誅相極之間、為遁其災難、称病気逃帰于本国畢、次白須賀之訳放火之事、全非致実所為、彼宿民手之過言也、然依時節悪敷、致実之 …
就 太神宮正遷宮、遠州萱米之事承之間、十付進之候、仍一万度御祓太麻并三種到来珍重候、弥於 御神前、可被抽武運長久之懇丹肝要候、猶三浦右衛門大夫可申候、恐々謹言、 四月十一日 氏真 御判 二神主殿 →静岡県史 「今川氏真書 …
就今度進発、為立願於重原料之内百貫文、為新寄進永令奉納也、但料地事■■■改之可申付、以此旨可抽武運長久之懇祈之状如件、 天文十九年九月廿七日 治部大輔(花押) 亀田大夫殿 →静岡県史 「今川義元判物写」(勢州御師亀田文書 …