北条氏直、狩野隠岐守に、長井坂・岩淵の守備を賞す
其地長井坂堅固之由、并岩淵之城度ゝ相動殊防ニ付、待少ゝ差遣之段尤之至、次去月廿一日溝呂木之地之南雲大膳、於森下敵弐人打捕無比類働、注進之重而序之節感書可下候、此旨可申渡者也、仍如件、 八月十七日 氏直(花押) 狩野隠岐 …
其地長井坂堅固之由、并岩淵之城度ゝ相動殊防ニ付、待少ゝ差遣之段尤之至、次去月廿一日溝呂木之地之南雲大膳、於森下敵弐人打捕無比類働、注進之重而序之節感書可下候、此旨可申渡者也、仍如件、 八月十七日 氏直(花押) 狩野隠岐 …
此度入道殿利根川を取越、敵数多討捕候、貴所抽走廻、関口新五郎討捕候、誠無比類候、小田原江茂注進申上候、於此上入道殿御本意、程有間敷候間、各有塩味可被相稼事、専肝ニ候、恐ゝ謹言、 卯月廿四日 氏邦 矢野新三殿 →戦国遺文 …
去十七於甲州北谷表、敵一人討捕候、高名之至感悦候、弥可走廻者候也、 八月廿二日 (北条氏直花押) 山本与太郎とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2401「北条氏直感状写」(武州文書所収秩父郡清右衛門所蔵文書) 天正10年に比 …
「[封書上書]仁杉与兵衛殿」 去九月岩下口へ馳、乗籠、敵壱人討捕之由、富永能登守披露、高名之至無比類候、弥走廻ニ付而者可引立者也、仍而如件、 天正八年[庚辰] 六月十六日 (北条氏政花押) 仁杉与兵衛殿 →小田原北 …
去十八日、於神流川、無比類走廻、篠岡勘十郎討捕、高名之至、感入候也、 六月廿一日 氏邦(花押) 岩田河内とのヘ →戦国遺文 後北条氏編2351「北条氏邦感状写」(武州文書所収榛沢郡名主幡五郎所蔵文書) 天正10年に比定 …
「上包 大津六右衛門殿」 [切紙]去十二、於深沢表敵一人討捕候、誠感悦候、弥可抽戦功者也、仍如件、 二月十五日 (北条氏政花押) 大津六右衛門殿 →戦国遺文 後北条氏編 2138「北条氏政感状写」(相州文書所収大住郡六右 …
八月廿八日於山川口、久下兵庫助一人打取之由、并地主早水惣左衛門・立崎綴正、敵一人宛打取候、感悦、堀左へ■依而弥可走廻之旨、被仰出者也、仍而如件、 九月十日 『押欠写』 大石信濃守殿 →戦国遺文 後北条氏編 1944「北条 …
今度於佐貫前、敵船ニ懸合、陸地へ押上、早船三艘切取、殊数ケ所、致鎗手、自身愛河[を]被討捕ノ事、誠ニ無比類候、仍太刀一腰[未紀]遺之候、弥可抽忠節之状、如件、 天正五年[丑] 十二月二日 氏規在判 山本太郎左衛門尉殿 → …
「横折」 今度於奈胡桃、敵一人討捕候、高名感悦候、弥可走廻候、仍如件、 十一月十日 (北条氏政花押) 小河池左京亮殿 →戦国遺文 後北条氏編 2111「北条氏政感状写」(鶏肋編百六) 天正7年に比定。 この度名胡桃にお …
今度於奈胡桃、敵壱人討捕候、高名感悦候、弥可走廻候、仍如件、 十一月十日「小田原之御判」 塚本仁兵衛殿 →戦国遺文 後北条氏編 2112「北条氏政感状写」(上毛伝説雑記二) 天正7年に比定。 この度名胡桃において、敵1 …