検証a30:鳴海原の位置比定
以前のエントリで取り上げたように、今川義元が討ち死にした「鳴海原」は、相原郷ではないかと推定している。『角川地名辞典』によると、以下の記述がある。 あいはら;地名の古鳴海(鳴海村枝村)と沓掛山二村山(現豊明市)の中間に位 …
以前のエントリで取り上げたように、今川義元が討ち死にした「鳴海原」は、相原郷ではないかと推定している。『角川地名辞典』によると、以下の記述がある。 あいはら;地名の古鳴海(鳴海村枝村)と沓掛山二村山(現豊明市)の中間に位 …
『戦国史研究 第60号』の『今川氏真の「宗誾」署名初見史料』(長谷川幸一)において、気になる記述があったので考察してみる。 今川氏真書状写は1575(天正3)年に比定できる。取次役の秋葉寺に伝わっていた。つまり、本来の宛 …
急度啓達、駿州へ家康依出張仁、令同心、即向敵城候、累年申通之処、此節ニ候歟、自家康定委細雖可被申候、別而自分御合力、此時相極候、早々信州表へ御出馬、所希候、猶権現堂可有才覚候、恐々謹言、 七月十九日 宗誾 上杉殿 →戦国 …
2010年6月刊行なので、現時点では藤田達生氏の最新著作となる。その割に各書店で見かけることがなく、渋谷啓文堂にたまたまあったものを購入した。 最近の本能寺の変研究は、動機の追及を含めた黒幕探しが横行している。ただ、同じ …
過日、高野書店で『小田原市史 後北条氏1』を購入するため、10年ぶりに小田原へ行った。さすがに町並みも変わっており、昔日の面影はなかった。そこで、私が知っている1976~86年頃の小田原と比べた所感を残しておこうと思う。 …