月: 2010年11月

検証a30:鳴海原の位置比定

以前のエントリで取り上げたように、今川義元が討ち死にした「鳴海原」は、相原郷ではないかと推定している。『角川地名辞典』によると、以下の記述がある。 あいはら;地名の古鳴海(鳴海村枝村)と沓掛山二村山(現豊明市)の中間に位 検証a30:鳴海原の位置比定

今川氏真、上杉輝虎に自身の駿河侵攻に合わせて信濃出征を要望する

急度啓達、駿州へ家康依出張仁、令同心、即向敵城候、累年申通之処、此節ニ候歟、自家康定委細雖可被申候、別而自分御合力、此時相極候、早々信州表へ御出馬、所希候、猶権現堂可有才覚候、恐々謹言、 七月十九日 宗誾 上杉殿 →戦国 今川氏真、上杉輝虎に自身の駿河侵攻に合わせて信濃出征を要望する

小田原 1

過日、高野書店で『小田原市史 後北条氏1』を購入するため、10年ぶりに小田原へ行った。さすがに町並みも変わっており、昔日の面影はなかった。そこで、私が知っている1976~86年頃の小田原と比べた所感を残しておこうと思う。 小田原 1