急度啓達、駿州へ家康依出張仁、令同心、即向敵城候、累年申通之処、此節ニ候歟、自家康定委細雖可被申候、別而自分御合力、此時相極候、早々信州表へ御出馬、所希候、猶権現堂可有才覚候、恐々謹言、
七月十九日
宗誾
上杉殿
→戦国史研究60号 『今川氏真の「宗誾」署名初見史料』「今川氏真書状写」(長谷川幸一)
取り急ぎお伝えします。駿河国へ家康が侵攻したのに同心して、すぐに敵の城に向かいました。長年やり取りさせていただいた成果はこの時ではないでしょうか。家康より詳細を申し上げるでしょうが、特に私への援軍はこの時に極まります。早々に信州方面へ御出馬されるよう、お願いします。さらに権現堂が才覚を発揮するでしょう。
このたびはお手数をお掛け致しました。今度、愛知県史と岡崎市史の史料編を当たってみます。
ところで、こちらの今川氏真(宗誾)書状写の存在を、『上杉氏年表 増補改訂版』(高志書院)に於ける栗原修先生のコラム 「徳川家康と上杉謙信」で知ったのですが、「古案義元」がどのような史料か調べても分からず、また、恥ずかしながら 『戦国史研究 第60号』 に於ける長谷川先生の論考を存じ上げておりませんでした。それゆえ、この史料に当たるのは、『戦国遺文今川氏編』の第四巻を待つしかないと思っていました。しかし、いざ発刊されたものの、なかなか閲覧する機会を得られなかったところに、高村さんがお声を掛けてくださったおかげで、こちらのサイトにお邪魔する機会が増え、こうして彼の書状の釈文を読むことができました。
長谷川先生の論考を知らずに、この書状の釈文を読んでいたら、謙信の手に渡らなかった書状であるとは気が付かないまま解釈していたことでしょう。このように書状が届かなかった場合も考慮しなければならないのだと、学ばせてもらいました。ありがとうございました。
コメントありがとうございます。お役に立てたようで嬉しく思います。解釈は素人の手習いですから、ご不明の点がありましたらお気軽にお問い合わせ下さい。
氏真は越相同盟交渉時に輝虎から「大名でもないのに」と書札令の非礼を咎められています。いわば戦国大名として最後通牒を突きつけられた形ですが、この頃には恬淡と交誼を結ぼうとしているんですよね。お人好しで大らかな氏真らしい書状です。
ちなみに、戦国遺文今川編の最終巻はAmazonによると4月10日発売予定だそうです。所収文書を読むのが楽しみでなりません。
『戦国遺文 今川氏編』の最終巻、まだ発刊されていなかったのですね。東京堂出版さんのホームページに出ていたので、てっきり発刊されているのかと思ってました。確かに4月10日発売になってますね。どおりで幾ら待っても図書館に並ばないわけでした。重ね重ねありがとうございました。