返々南方衆ハ沼田・我妻之間中山之地取詰候、沼田一途無落着者、当表行努々有間敷候、扨亦遠州御人衆近日至于甲府御着候、為始曾下駿州衆大略甲へ御着候、可有五日内候、以上、

自兵庫殿注進候趣、具得其意候、南方衆越山之儀努々不可有之候、次ニ正月之礼儀可為如何之由候、三ヶ日之内者、何方も用心大切候、御遅延候も不苦候、可然時分相計可及御左右候、其分御人可申候、只今之儀者城内用心ニ相極候、内々之儀ハ無沙汰之様ニ候共、少も不苦候、此分異見可申候、将又小諸通用無相違様ニ堅可被申付候、御大堵其分ニ候、必々無御無沙汰様可被申候、恐々謹言、

壬極月廿八日

信蕃(黒印「続栄」)

柳沢宮内助殿 前山

→静岡県史 資料編7「依田信蕃書状」(柳沢文書)

戦国遺文でも1563(永禄6)年に比定。但し、東国では1582(天正10)年にも閏12月が存在することから、当サイトではそちらを採用する。

 繰り返しですが、南方衆(後北条方)は沼田と吾妻の間、中山に詰めています。沼田が落着しないことには、この方面の準備は絶対ありえません。ところで、遠江国の部隊が甲府に到着しました。これを先鋒として駿河国の部隊も大多数が甲斐へ到着しています。5日のうちには完了するでしょう。
 兵庫助殿より報告した内容は、詳しくその意を得ました。南方衆が越山することは絶対ないように。ついで正月の儀式をどのようにするかですが、三が日のうちは諸方に用心することが大切です。遅延しても構いません。しかるべき日程を検討してご報告下さい。そのことは御人に申しておくでしょう。直近では、城内の用心が最優先です。内々のことは報告がなくても全く構いません。このようにご意見して下さい。その一方、小諸の交通は相違ないようにとのご指示です。太守はそのような意図で、必ず報告漏れのないようにとの仰せです。

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