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カテゴリー «史観雑感»

鉄砲衆と紬

1584(天正12)年比定の「後北条家朱印状」によると、宇津木氏が新規に雇うことになった鉄砲衆10名の費用86.67貫文のうち、28貫文分が紬20反への割り当てとなっている。 此内 拾五貫文 拾たん  上紬 拾三貫文 拾 …

神君伊賀越えず 1

歴史に「もし」が禁句なのは承知しているが、1つだけ興味を持っている「もしも」がある。1582(天正10)年6月、本能寺の変に巻き込まれた徳川家康は大坂から三河国まで脱出行を演じているが、この際に家康が殺されていたら……と …

『漂流巌流島』

創元推理文庫の『漂流巌流島』(高井忍著)を読んだ。主人公が脚本家の4話もので、それぞれ、巌流島の決闘・赤穂浪士の討ち入り・池田屋事件・鍵屋の辻の仇討ちがモチーフとなっている。 ひょんなことから素人歴史研究家が矛盾に気づき …

名胡桃問題 -関連地図-

 名胡桃城を巡る古文書に出てくる地をマーキングしてみた。岩櫃は参考用に追記している。真田方の拠点として名胡桃が孤立している様子が窺える。中山城は1584(天正12)年段階で後北条方であったことは確実なので、岩櫃と名胡桃間 …

旧暦6月27日

 この日、7月30日(旧暦だと6月27日)をもって、5月19日から続いていた氏真の活動記録が一旦途切れる。  氏真は熊野大社に「於尾州不慮之儀出来、因茲遠路来書祝着候」(尾張国で不慮の事件が起きました。このことで遠路書状 …

旧暦6月23日

旧暦6月23日(7月26日)、武田晴信は穴山信友に書状を書き起こした。 そこでは「対氏真無等閑趣被申述、同氏真同意被聞届候者、早々御帰国簡要候」、つまり、氏真に対して粗略な扱いはしないと申し述べて、氏真が納得したので早々 …