NHK大河ドラマの影響からか、坂本竜馬を中心とした幕末書籍やテレビ番組が多い。歴史に興味を持つ人が増えるのは嬉しいことだと思う。

ところが個人的には、幕末の思想背景は模糊としており、すっきりしなかったので馴染みがない。曖昧な割に、通史では「尊皇攘夷」「公武合体」「開国論」「征韓論」などなど、イデオローグで人々が行動したように描かれる(「勝てば官軍負ければ賊軍」は維新後の言葉らしいが)。特に攘夷は判りづらい。水戸藩・萩(山口)藩が突出した攘夷原理主義のようではあるが、孝明天皇のそれとどう違うのか。

『攘夷の幕末史』(講談社現代新書・町田明広著)を読んだところ、尊皇攘夷VS公武合体の対立構造がおかしいのではないか、という指摘があり幕末への視野が少し開けた感があった。尊皇と攘夷は別物であり、当時の日本では殆どの人間が尊皇と攘夷を掲げていたという。但し、勅命を最優先する直接尊皇と、陪臣であることから台命(大政委任による幕府経由の勅命)を優先する間接尊皇が存在したとのこと。

攘夷の方は古来より存在する「朝鮮を日本の朝貢国にして天皇制を確立したい」という願望と連動しており、「とりあえず外国を追い払ってから侵略」派(小攘夷)と、「とりあえず開国して戦備を備えてから侵略」派(大攘夷)に分かれていた。

何れにせよ攘夷は侵略概念であり、当時の日本では海外侵略を行なうことは国是として認識されていた。一見弱腰外交に見える幕府要人も征韓論を意識していたし、勝海舟・坂本竜馬も侵略を前提に開国を語っている。

東アジアの華夷秩序内で「天皇」という小皇帝を内包した段階から、自分たちへの朝貢国探しが始まり、三韓征伐伝説・羽柴氏の朝鮮出兵・日清戦争・日露戦争を経て太平洋戦争まで突き進んだ侵略概念が、攘夷なのだという(琉球・朝鮮通信使もこの文脈に合致する)。

これはとても腑に落ちる意見だ。日清戦争以降の戦いについて「西欧列強が植民地政策を進めたため日本も追随した」という言説をよく聞くが、「元からあった攘夷(侵略)概念が近世猛烈に増幅され、列強の施策に便乗する形で発露した」と考えたほうが、幕末になぜ攘夷という言葉がしきりと使われたのか判然とする。

個人的には、攘夷はイデオローグだけでなく、貿易と外貨兌換率を巡る経済主張でもあったと思うのだが、この辺りは金本位制を巡る経済論になるので改めて考察してみたい。

ちなみに、過日中津を訪れる機会があったが、この地方では幕末期、蘭癖大名として著名だった奥平昌高の意を受け、医学を中心として様々な活動をしていた。そういった事柄は全て郷土史でしかなく、ただ福沢諭吉の出生地としてのみ語られている印象がある。

単に私がこの時代について無知過ぎるのかも知れないが、特定の英雄だけが突出して掘り下げられる傾向は厳然として存在しているように思う。

ただ、その状況はインターネットによる情報発信で大きく改善される可能性があると信じている。これまで発信手段のなかった郷土史家が、ネット上で様々な人物を紹介してつなげていくという作業も可能ではないかと。その過程で激しい議論もあるだろうし、拒否される意見も出るとは思うが、通り一遍だった歴史が、地域ごとに多元性を持つ好機でもあるだろう。

Trackback

4 comments untill now

  1. 初めまして。「洞窟修道院」管理人の1人である奥野という者です。
    弊サイトにて、貴ブログにリンクを張らせていただきました。リンクフリーということではありましたが、改めてここでご挨拶させて下さい。もしも紹介文等で問題がありましたら、ご指摘頂ければ幸甚です。
    当方の専門はロシアの歴史ですが、日本の戦国史にも関心があり、「その他」ページでは城跡めぐりのコーナーなども設けております。貴ブログは史料紹介・歴史考察共に大変興味深く、勉強させて頂いております。この幕末・攘夷に関するお話にもうなずかされますね。『攘夷の幕末史』は是非読んでみたいところです。

    今後とも宜しくお願いいたします。

  2. コメントありがとうございます。こちらこそ宜しくお願いします。

    リンク確認しました。過分なご紹介に恐縮しております。城郭探訪のページは感服しました。屏風山とはまた渋いところを……。ちなみに、山中城の前身である箱根峠古城は行かれましたか? 比較的最近発見されたそうです。

    『攘夷の幕末史』には、吉宗時代に房総まで来ていたロシア船などの記述が多数あります。幕末史では英米仏蘭ばかりが大きく扱われる嫌いがありますが、同書はロシアのアジア政策にも着目して解説しており非常に勉強になりました。もし機会がありましたらご一読下さい。

    サイトの性質から城郭訪問が主となりますが、当サイトからもリンクを貼らせていただきました。ご確認いただければ幸甚です。

  3. 弊サイトをリンクに加えて頂きありがとうございます。今後とも宜しくおつき合い願えればと思っております。

    箱根峠古城というのは存じませんでした。ネットで調べてみましたが、中々よさそうですね。
    ただ、最近は葛飾住まいなのでどうしても箱根方面からは足が遠のいてしまっています。山中城も久々に行きたいのですけどね。反面、千葉方面のお城は近くなりました。本佐倉城は2回訪問しましたが、非常に見応えがありました。

  4. リンクの確認ありがとうございます。

    佐倉城は歴博に行く知人についていった際に馬出を見た程度です。本佐倉城は一度見たいと思いつつ、現在は多摩在ということで足が向かずにおります。機会がありましたら是非訪問したいと思います。

    葛飾ですと、下総・武蔵の千葉氏分裂で中心となる絶好の位置ですね。羨ましいです。発見や推論などありましたら是非お聞かせ下さい。

    これからも宜しくお願いします。