今川氏親、本間宗季の軍忠状を認定する
遠江国山名郡石野郷内小野田村之事 右、任本地致知行、御入国以来忠節仕条々、 一座生御城江信州一国罷立相攻候処、久野佐渡守及難儀半、属福嶋左衛門尉助春手彼城中ニ走入、励軍忠久野同前得勝利候、 一天方城敵相楯籠候時、久野并 …
遠江国山名郡石野郷内小野田村之事 右、任本地致知行、御入国以来忠節仕条々、 一座生御城江信州一国罷立相攻候処、久野佐渡守及難儀半、属福嶋左衛門尉助春手彼城中ニ走入、励軍忠久野同前得勝利候、 一天方城敵相楯籠候時、久野并 …
(竜朱印) 従駿河合力衆荷物之事、任今川殿印判、当陣中伝馬可出、若至于無沙汰之族者、可加成敗者也、 天文十八年 八月一日 ふつせき あしかわ かけはし →戦国遺文 武田氏編「武田家朱印状」(内閣文庫所蔵「諸州古文書 …
就商買之儀、徳政・年紀・要脚・国役事、令免許之訖、并永代買得之田畠・屋敷・野浜等義、縦売主或闕所、或雖為披官退転、不可有異儀、然者年貢・色成・所当・上年貢事、任証文之旨、可有其沙汰、并質物之義、雖為盗物、蔵之不可成失墜、 …
年来同名三郎左衛門尉、同織部丞・同新左衛門尉令同意逆心之儀、先年奥平八郎兵衛尉為訴人申出之上、今度林左京進令相談、為帰忠以証文言上、甚以忠節之至也、因茲同名隅松一跡之儀、所々令改易也、然者前々知行分際田菅沼之内市場名、并 …
一知行分本知之事者、不入之儀領掌訖、新知分者可為如前々事、 一親類・被官・百姓以下、私之訴訟企越訴事、堅令停止之、但敵内通法度之外儀就有之者、可及越訴事、 一被官・百姓依有不儀、加成敗之処、或其子、或其好之人、以新儀地之 …
今月廿四、伊奈要害乗落候刻、酒井弥七同前ニ、於小口粉骨ニ神妙之至、無比類感悦候、尚酒井弥七可申候、恐々謹言、 五月廿七日 氏親(花押影) 灯明坊 →愛知県史 資料編10「今川氏親感状写」(大福寺文書「大福寺古案」) 今月 …
七日、辛丑、晴、(中略)大隈来、参川国去月駿河・伊豆衆敗軍事語之、(後略) →愛知県史 資料編10(実隆公記 永正五年十一月七日条) 7日。辛丑。晴れ。(中略)大隈が来て、三河国で先月駿河・伊豆国の軍が敗退したと語った …
先度以状申述候、為其国合力、来十六日諸勢可差越候、田原申合、抽而其動肝要候、例式於無沙汰者不可然候、此方勢衆逗留之内ニ細川ニ一城取立、上野通路無相違候様ニ、調談専一候、此儀就庶幾者、各以近番、加西衆可■相踏候、巨細諸勢相 …
雖未申入候、以次令啓候、仍関右馬允方事、名字我等一躰ニ候、伊勢国関与申所依在国、関与名乗候、根本従兄弟相分名字ニ候、以左様之儀、只今別而申通候、諸事無御等閑之由、被申候、別而我等忝存候、以後者、関方同前ニ無等閑候可為満足 …
雖未申通候、以事次一筆令啓上候、仍関右馬允無御等閑之由被申越之間、自早雲以一札被申述候、太刀一腰令進覧候、巨細猶重可申入候間、不能具候、恐惶謹言、 九月廿二日 弾正忠盛泰(花押) 謹上 小笠原左衛門佐殿 御宿所 →愛知県 …