雖未申入候、以次令啓候、仍関右馬允方事、名字我等一躰ニ候、伊勢国関与申所依在国、関与名乗候、根本従兄弟相分名字ニ候、以左様之儀、只今別而申通候、諸事無御等閑之由、被申候、別而我等忝存候、以後者、関方同前ニ無等閑候可為満足候、次当国田原弾正為合力、氏親被罷立候、拙者罷立候、御近国事候間、違儀候ハゝ、可憑存候、然而今橋要害悉引破、本城至堀岸陣取候、去十九卯刻ニ端城押入乗取候、爰元急度落居候者、重而可申展候、仍太刀一腰作助光金覆輪進候、表祝儀計候、此旨可得御意候、恐々謹言、
九月廿一日
宗瑞(花押)
謹上 小笠原左衛門佐殿 御宿所

→愛知県史 資料編10「伊勢宗瑞書状」(早雲寺文書)

1506(永正3)年に比定。

 まだご挨拶しておりませんでしたが、本状にて申し上げます。関右馬允方のこと。苗字は私と一体で、伊勢国関という所から在国し、関と名乗っています。根元は従兄弟のような苗字ですから、このことをもって現在特別に申し上げている訳です。諸事等閑はないとの仰せです。私も本当にかたじけなく思います。以後は、関方と同じく等閑なくお願いできたら幸いです。次に当国田原弾正が合力した件ですが、氏親が出立されたので私も出てきました。近国のことですから、ご意見あればお願いします。ということで今橋の要害を全て引き破り、本城の堀際に至る堀岸に陣取りました。去る19日卯刻に端城へ押し入って乗っ取りました。こちらは取り急ぎ落城させますので、また重ねてご連絡します。太刀1腰(助光作の金覆輪)を進上します。表祝儀のみです。この旨お心を得られますように。

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