北条氏政、清水上野入道に、東上総での戦闘状況を伝える
一札具披見候、去十九東金へ押詰、土気・東金両地郷村毎日悉打散候、諸軍ニ申付、敵之兵粮を苅取、今朝中一宮へ籠置候、此表者明隙候、此上之模様、諸老令談合、可落着候、西口無替儀由、令得其意候、恐々謹言、 八月廿八日 氏政(花押 …
一札具披見候、去十九東金へ押詰、土気・東金両地郷村毎日悉打散候、諸軍ニ申付、敵之兵粮を苅取、今朝中一宮へ籠置候、此表者明隙候、此上之模様、諸老令談合、可落着候、西口無替儀由、令得其意候、恐々謹言、 八月廿八日 氏政(花押 …
一翰具令披見候、榎本本意先以大慶候、小山落居歴然候、随而息左衛門丞煩平癒之由、大慶候、働前候間、別而養性可為肝要候、恐々謹言、 追而太方煩長病ニ者、更ニ難治候、但、近日者、少見直候、折角可有推察候、 七月八日 氏政(花押 …
就太方様御煩、一翰祝着候、経年月極労候、更無頼候、雖然、於保養無由断候条、昨今少験気之分候、哀々取延度候、将又甲州無仕合之儀、無是非候、然共彼分国諸境目無異儀由候間、至于今日、当方迄之苦労ニ無之候、委曲期重説候、恐々謹言 …
御太方御煩、経年月大病候間、更難治候、土用中極ゝ養性候、無少験気候、此上も勿論於保養者、少も不足有間敷候、恐々謹言、 六月廿三日 氏政(花押) 清水上野入道殿 →小田原市史 通史編 原始 古代 中世 別冊 小田原北条氏五 …
年来無足ニ而令奉公之間、新田領石原郷之内貮拾貫文被下候、弥厳密ニ可走廻者也、仍如件、 天正十五年[丁亥]八月二日[虎朱印]海保新左衛門 奉之 岡本越前守殿 →群馬県史 「北条家朱印状写」(安得虎子) 何年も無足で奉公し …
猪能所へ注進状披見候、助太郎相挊付而、去三日沼田東谷押替候、取出以不慮之行、打散悉放火、人馬貮百余討捕、首打捨五十余之内、鼻験八、其外分捕等ゝ紙面見得候、誠心地好面ゝ挊之所無比類次第候、則小田原へ注進状令進上候、弥境目無 …
注進状披見、仍去十九、従館林古海へ相動候処、追崩敵数多討捕之由、誠心地好仕合候、弥無油断可相稼候、将又佐竹様ゝ悃望之間、令赦免、今日為除候、謹言、 七月廿三日 氏直(花押) 大藤式部丞殿 →群馬県史 「北条氏直感状」(東 …
幸便之間令啓候、抑路次無相違御上洛之由伝承、令安堵候、御在国中者、毎物無風流之式、失面目候、雖然、無等閑申承候儀、于今ゝゝ難忘、御残存計候、就中、京都様子如何、 御上洛御催候哉、実説不聞候、便ニ具可記給候、委曲記来便候、 …
景虎向新田出陣之由、従方ゝ註進同然候、早ゝ可有動用意候、今一註進之様子、能ゝ聞届、為先衆五日之内、必立可申候、為其以飛脚申候、恐々謹言、 壬八月廿九日 氏政(花押) 「源三殿」 →小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏 …
今度於成田表合戦之刻、敵討捕、殊被鑓疵、粉骨之至、神妙候、其表弥以可抽忠勤者也、仍如件、 永禄九年丙寅八月廿三日 氏政 浜野弥六郎殿 →小田原市史 資料編 小田原北条1「北条氏政感状写」(武家雲箋) この度の成田方面の …