一翰具令披見候、榎本本意先以大慶候、小山落居歴然候、随而息左衛門丞煩平癒之由、大慶候、働前候間、別而養性可為肝要候、恐々謹言、
追而太方煩長病ニ者、更ニ難治候、但、近日者、少見直候、折角可有推察候、
七月八日
氏政(花押)
毛呂土佐守殿
→戦国遺文 後北条氏編「北条氏政書状」(林一氏所蔵文書)
戦国遺文では1574(天正2)年に比定しているが『後北条氏年表』では天正3年としている。
お手紙詳しく拝見しました。榎本の本意達成、まずは大慶です。小山が失陥することは歴然です。さて、子息左衛門丞の病気が回復したとのこと。大慶です。前線で働くのですから、心して養生することが大切でしょう。
追:大方は長患いでさらに治しづらいのです。但しこのところは少し持ち直しています。苦労の程お察し下さい。