『戦国遺文 今川氏編』の完結で、鳴海原合戦関係の史料は網羅できたと考えていたのだが……そういう矢先に新展開があった。

コメント欄にお邪魔したことのあるブログ『国家鮟鱇』さんでYOMIURI ONLINEの記事「信長の父「三河を支配」…中京大教授が新説」を知った。

『愛知県史 資料編14』所収の「菩提心院日覚書状」が論拠だという。そういえば年明けに刊行案内が来ていた。その際は「補遺だったら何れ図書館で見て押さえればいい」と甘く見ていた。

資料編14の発売は4月だったので、国会図書館・都立中央図書館で蔵書検索をかけたものの……ない。先日も弘中隆包の「遺言めいた書状」を探しに国会図書館に行ったものの、『大日本古文書 家わけ第二十二 益田家文書之三』がなかった。都立中央にはあるけれど、そこまで足を伸ばす余裕が今はない。

現在版元の愛知県県史編纂室へ購入申し込み中。中世補遺が230点、織豊補遺が330点あるそうなので、改めて精査したい。果たしてどんな文書と出会えるだろうか。

こういうことがあるから、史料道楽はやめられない。

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5 comments untill now

  1. ケイメイ @ 2014-07-05 02:50

    記事拝見させていただきました。読売の記事は知らなかったので興味をもって読まさせていただきました。
    天文17年は北条氏康の記事から安城城が信秀の手に渡り、その年か翌年に今川が奪取したようで、これも関係しているのかもしれませんね。
    でもこのようなことを含め、歴史は年々事実が変化していくものだ、というのは、確かに面白いですね。
    成果を楽しみにしております。

  2. コメントありがとうございます。何故か判らないのですが愛知県の担当と連絡が途絶中です。いくつかのニュースサイトで扱われたので、もしかして品切れ? と怯えています。小田原市史の『小田原北条1』と『別編城郭』は何故かいまだに品切れなので、トラウマが甦りそうです。図書館には入っていないようですし……。何とか入手できたらすぐにアップしますね。

  3. ケイメイ @ 2014-07-09 00:22

    ご返答ありがとうございます。
    一般の書籍でも初版の出版部数が減っていると聞いているこのご時世、専門書はなおのことかもしれませんね。
    記事のアップゆったりとお待ちしております。

  4. こまつ @ 2014-07-10 13:05

     ご連絡が遅くなりまして、大変申し訳ありません。相変わらず不調のため、こちらから失礼させてもらいます。このたびは色々とお気遣い下さいまして、ありがとうございました。いつも植村氏の件をお気に留めて下さり、本当に感謝しております。

     「十五已前六十已後」については、ご指摘の通り、十五歳から六十歳の間の者を動員しなさい、ですね。あまり深く考えずに、十五歳以下の六十歳以上の者でもかたっぱしから動員しなさい、と解釈してしまいました。おまけに、あの書き方ですと十五歳以下と六十歳以上の者だけを動員しなさい、と読めてしまうので、お恥ずかしい限りです。

     『愛知県史』、担当の方と連絡が取れないようですが、もしお時間があるようでしたら、『新潟県史 資料編5 中世三』を閲覧されてはいかがでしょうか。「本成寺文書」に菩提心院日覚書状があります。
     

  5. コメントありがとうございます。

    いつも情報をいただいて助かります。新潟県史とは盲点でした。こういう、読む人のカテゴリが異なるために埋もれている史料がまだまだあるんですね。今は公私忙殺されていますが、時間がとれ次第確認しようと思います。

    愛知県史の方は、編纂室と連絡がとれなくなっておりまして頓挫中です。来週辺り電話でもしてみようかと考えています。補遺がとても気になっているんですよね。