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今川義元、分国支配のため、条目21ヵ条を追加する

かな目録追加

一互遂裁許公事落着之上、重而めやすを上、訴訟を企る事、証文たゝしき事あらハ、是非に不及、さもなくして、同口上の筋目申に付てハ、罪之軽重を不論、成敗すへき也、

一各同心与力の者、他人をたのミ、内儀と号し、訴訟を申事、停止之、其謂ハ、寄親前々訴訟の筋目を存、いはれさる事をハ相押、加異見により、前後しらさる者を頼ミ、我道理計を申により、無覚悟なる者共、取次事多也、但、寄親道理たゝしき上を、贔屓の沙汰をいたし押置歟、又敵方計策歟、又ハ国のため大事にいたりてハ、以密儀、たよりよき様に可申も、不苦也、

一各与力の者共、さしたる述懐なき所に、事を左右によせ、ミたりに寄親とりかふる事、曲事たるの間、近年停止之処、又より親、何のよしみなく、当座自然之言次憑計の者共を、恩顧庶子のことく、永同心すへきよしを存、起請を書せ、永く同心契約ハ、諸事取次間敷なとゝ申事、又非分の事也、所詮内合力をくハふるか、又寄親苦労を以、恩給宛行者ハ、永同心すへき也、但寄親非拠之儀あるに付てハ、此かきりにあらす、さあるとて、末断に寄親かふへきにハあらす、惣別各抽奉公の筋目あれハ、当座の与力つく事也、一旦奉公を以、あまた同心せしむるといふ共、寄親又奉公油断の無沙汰あるにより、昼夜奉公の者によりそひ、一言をもたのむにより、もとより別而真切の心さしなき同心は、をのつからうとむ也、己か奉公を先として、各に言をもかけをかは、故なき述懐なく同心すへき歟、能々可為分別也、

一出陣の上、人数他の手へくハゝり、高名すと云共、背法度之間、不忠之至也、知行を没収すへし、無知行ハ、被官人を相放すへき也、軍法常の事なから、猶書載也、

一駿府不入之事停止之由、かな目録に有うへハ、不及沙汰と云共、馬廻之事ハ、目代の手いるへからさる由、近年申来之間、近日及沙汰、悪党之事ハ、家財あらたむるに不及、雑物一色あひそへわたすへきよし、議定畢、并不入之地準之、但家来之悪党を、家来之者聞立、成敗する事ハ、他之云事なき間、不及是非、訴人ありて申出悪党に至てハ、当職に渡置、可成敗也、又自当職申付者、悪党拘置にをいてハ、重罪の間、別而可加成敗也、か様之儀申出者にをいてハ、かゝへをくものゝ家財以下出置、其上可為褒美也、

一各困窮せしむるにより、徳政の沙汰にあらすといへとも、或年期をのへ、或以連々弁済之事、誠に非分の至也、如増善寺殿時、かたく停止之、如此相定上、訴訟のよし取次申出る者にをいてハ、知行三分一を可没収、訴訟人之事ハ、一跡を改易すへき也、将亦徳人等、或奉公の者、或神社仏寺領売得の事、一切不可有之、但奉公之者、陣参急用に付てハ、二三ヶ年之事ハ宥免也、神社仏寺領之事も、修造顕然たらハ、同前に是を免許すへき也、此条兼日雖相定、条目に所書載也、

一他国之者、当座宿をかりたるとて、被官の由申事、太曲事也、主従之契約をなし、扶助之約諾の上、証人あるにをいてハ、被官勿論也、惣別他国の者の事ハ、約束のことく扶持をハせすして、一度契約したるなとゝ、譜代同前の申事ハ、非分の事也、

一分国中諸商買の役之事、自先規沙汰し来る事ハ、乍不便了簡に不及也、今に至てのかれ来る事とて、新役望訴者、無際限といへとも、許容せさる也、自今以後、か様之訴訟取次者にをいてハ、知行十分一を没収すへき也、知行なくハ、給恩に随可改易也、

一百姓等地頭にしらせすして、名田売買之事、曲事也、但為年貢収納、当座之儀にをいてハ、宥免あるへし、年期二三ヶ年にをよハゝ、地頭代官に相ことハるへし、永代の儀ハ、不及沙汰也、

一奉公の者子孫の事、嫡子一人之事ハ、一跡相続之上、是非に不及、弟共に至てハ、知行をさき分、扶持を加るの間、嫡子に与力すへき事勿論也、但割分之上に、給恩を請、内の合力にくハへ、惣領につき奉公すへき事ハ、いはれさる也、速給分あけ置、兄一所に奉公すへきなり、兄弟の間、契約の筋目ありて、割分に随ひ、人数兄にくハへ、其身ハ各別之奉公も随意たるへき約諾あるにをいてハ、其儀にまかすへき歟、父祖譲与の所を、惣領非分を以押領の上、公事に及、裁許を遂、兄の非儀歴然者、弟各別之奉公、是非に不及也、惣別嫡子之外、扶助すへきたよりなき者共、子共おほきまゝ、何も取ならへ、幼少之間、何となく出仕させ置、給恩を望事、甚曲事也、嫡子一人之外ハ、堅可停止之、但、弟たると云共、別而忠節奉公せしむるにをいてハ、各別として扶助すへき也、又父一代の労功を以、給恩に預たるもの、子共に割分、何様に奉公さすへきのよし内儀を得、兄弟共に同前に相ことハり、扶助するにをいてハ、無是非歟、但、他国人足軽之事者、一かしらとして奉公走廻之間、不準之、器量を以、一跡可申付也、

一父の跡職、嫡子可相続事勿論也、雖然親不孝、其上無奉公之者にをひてハ、弟又ハ他人を養子としても、子孫奉公つゝくへき者に、可申付也、但嫡子何之不孝成事なきを、親弟に相続すへき覚悟にて、非分の事共申かくる事、太曲事也、時宜により可加下知也、

一庶子割分之事、本知行五分一、十分一程の儀にをいてハ、大方相当すへき歟、半分、三ヶ一にいたりてハ、惣領の奉公迷惑たるへき歟、自今以後、各可有分別也、

一田畠野山境問答対決の上、越度の方、知行三ヶ一を可没収之旨、先条雖有之、あまり事過たる歟のよし、各訴訟に任、問答之〓(片+旁)示境一はいを以、公事理運之方へ、付置へき也、

一公事半手出、三年理非を不論、公事をあひてに落着すへしと云々、雖然、非儀をかまふるの輩、公事をのへ置、手出の咎をねらひ、先三年の所務をする事、太奸曲之至也、手出の越度あるにをいてハ、其年の年貢を浅間造営に寄附し、後年に至て、公事の是非を可裁許也、

一公方人与号し田札する事、公事相手に、其旨趣をことハり、其上田札すへし、公方人の奉行を定うへハ、奉行人に断、諸事可申付也、

一小身の者、盗人にあひ取るゝ所の財宝、秋の事たりと云共、其身にをいてハ、進退つゝかさる由を存、彼盗人尋出す所に、目代之手へわたるか、或ハ不入之地たる間、雑物出間敷由先規より申と云共、無力の者にをいてハ、不便の儀たる間、臓物一色悪党に付置、其外ハ本主に可還附也、

一自他国申通事、内儀を得すして、私之返答の事、かたく令停止之也、

一祈願寺之住持たる者、故なく進退あらためなから、寺を他人に譲与の一筆出来、甚以自由之至曲事也、出家たいくつの上らくたせは、寺は速に上置のよし、以寺奉行披露すへし、相応住持可申付也、

一諸事法度を定、申付と云共、各用捨あるゆへ、事をぬしになり申出者なきハ、各の私曲也、制法にをいてハ、親疎を不論、訴申事忠節也、自今以後、用捨をかへり見す申出に付てハ、可加扶助也、

一不入之地之事、代々判形を戴し、各露顕之在所の事ハ沙汰に不及、新儀之不入、自今以後停止之、惣別不入之事ハ、時に至て申付諸役免許、又悪党に付ての儀也、諸役之判形申かすめ、棟別段銭さたせさるハ私曲也、棟別たんせん等の事、前々より子細有て、相定所の役也、雖然載判形、別而以忠節扶助するにをいてハ、是非に不及也、不入とあるとて、分国中守護使不入なと申事、甚曲事也、当職の綺、其外内々の役等こそ、不入之判形出す上ハ、免許する所なれ、他国のことく、国の制法にかゝらす、うへなしの申事、不及沙汰曲事也、自旧規守護使不入と云事ハ、将軍家天下一同御下知を以、諸国守護職被仰付時之事也、守護使不入とありとて、可背御下知哉、只今ハをしなへて、自分の以力量、国の法度を申付、静謐する事なれは、しゆこの手入間敷事、かつてあるへからす、兎角之儀あるにをいてハ、かたく可申付也、

一奴婢雑人妻子の事、夫婦各別の主人あるにより、男の主人ハ、我下人の子たるの間、被官之由を申、女の主人ハ、我下女の子たる由、相論す、所詮幼少より扶助をくハふる方へ、落着すへき也、互に扶助せさるにをいてハ、親か計ひたるへき也、但かせものゝ事ハ、扶助をくハへすと云共、子一人の事ハ、譜代の奉公をつくへし、末子に至てハ、親かたらひたるへき也、

   以上廿一ヶ条

 天文廿ニ年二月廿六日

→静岡県史 資料編7「今川仮名目録追加」

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