足利義氏、江木戸豊後守が久幹を守って活躍したことを賞す
「[封紙ウハ書]江木戸豊後守とのへ」 相守久幹、今度走廻之条、神妙之至、感思召状如件、 永禄三年十二月廿九日 (義氏花押) 江木戸豊後守とのへ →戦国遺文 古河公方編858「足利義氏感状」(榎戸克弥氏所蔵文書) 久幹 …
「[封紙ウハ書]江木戸豊後守とのへ」 相守久幹、今度走廻之条、神妙之至、感思召状如件、 永禄三年十二月廿九日 (義氏花押) 江木戸豊後守とのへ →戦国遺文 古河公方編858「足利義氏感状」(榎戸克弥氏所蔵文書) 久幹 …
相守千代増丸走廻之条、神妙之至也、 天文十六年十二月廿八日 (足利晴氏花押) 富岡主税とのへ →戦国遺文 古河公方編654「足利晴氏感状」(群馬県立歴史博物館所蔵富岡家古文書) 千代増丸を守って奔走したのは、神妙の至りで …
相守刑部太輔、無二忠信之由聞召之条、神妙也、弥可存其旨之状如件、 永正九年十月晦日 (政氏花押) 富岡玄蕃允殿 →戦国遺文 古河公方編371「足利政氏感状」(群馬県立博物館所蔵富岡家古文書) 刑部大輔を守り、無二の忠信 …
相守成勝、走廻候条、神妙之至也、 十二月三日 (政氏花押) 長江左京亮殿へ →戦国遺文 古河公方編485「足利政氏感状写」(栃木県庁採集文書六) 成勝を守り、活躍しているのは神妙です。
就古河落居、其砌早ゝ馳参走廻之条、忠信之至、感思召候、謹言、 霜月十三日 [古河公方晴氏御判也]在判 太田豊後守殿 →戦国遺文 古河公方編676「足利晴氏感状写」(感状写) 天文23年に比定。 古河落城について、その …
相守成長、存忠信之条、神妙候也、 十一月廿三日 (政氏花押) 栃木大炊助とのへ →戦国遺文 古河公方編484「足利政氏感状写」(新編会津風土記六) 成長を守り、忠信に思っているのは神妙です。
無二相守梅犬丸、致専公儀之忠節候者、可為神妙候也、 三月廿九日 (成氏花押) 島津隼人佐とのへ →戦国遺文 古河公方編224「足利成氏書状」(早稲田大学図書館所蔵下野島津文書) ひたすらに梅犬丸を守り、公儀の忠節を専 …
椙山之陣以来、相守憲房走廻之条、神妙之至候、謹言、 九月五日 足利高基ノ由 花押 毛呂土佐守殿 足利高基書状写(戦国遺文 古河公方編606「足利高基書状写」(山田吉令筆記所収家譜覚書)竹井英文氏『千葉史学51号』の釈文に …
彼書立之御人数十八人之分へ、為改替以新地如前々員数可出之筈、大肥与申合候上者、聊不可有相違、如此候也、仍如件、 三月十九 松蔵 家康(花押) 牟呂兵庫助殿 千賀与五兵衛殿 同衆中 →戦国遺文 今川氏編2032「松平家康 …
吉田城中取替兵粮之事 合参百俵者、 右、此内二百俵者、鵜殿休庵・大原弥左衛門、相残百俵者、隠岐越前守立合相調、城中入候間忠節至也、然者此返弁之番者、於望之地可申付者也、仍如件、 永禄八[乙丑]年 二月三日 牧野右馬之 …