今川氏真、西原源太が本宮山で活躍し負傷したことを賞す
去五日、於本宮山竭粉骨、無比類走廻、蒙疵之段、感悦之至也、弥於当城、可被励忠節者也、依如件、 永禄十二年 卯月廿日 氏真(花押) 西原源太殿 →戦国遺文 今川氏編2354「今川氏真感状」(西原文書) 去る5日、本宮山 …
去五日、於本宮山竭粉骨、無比類走廻、蒙疵之段、感悦之至也、弥於当城、可被励忠節者也、依如件、 永禄十二年 卯月廿日 氏真(花押) 西原源太殿 →戦国遺文 今川氏編2354「今川氏真感状」(西原文書) 去る5日、本宮山 …
珍札披見本望候、仍去年有太神宮御萱米料之儀被仰越間、雖斟酌申候、春木方達而被致候故、及披露、返事之旨申入候、遠州之義者、去年被申分候条、不及是非候、参州之事者領掌候、但三州手始令落之候、相残候国々之儀、同前ニ可被仰越候、 …
今度就忩劇犬居七人之者、令同道走回候段、喜悦之至也、然間為其賞、本意之上、於駿・遠両国之内、以望之地百貫文領地可充行、守此旨弥於山中筋、無相違様子可令馳走者也、仍如件、 永禄十二[己巳] 正月廿日 氏真判 鈴木尉殿 → …
今月十二日星崎入城候、当城之儀灘手にて万自由候、今度我等人数武具以下馳走之段、殊外被成御褒美候条本望ニ候、其許火用心其外多時不可有緩事肝要候、将又内ニも碁石可有之候間、誰そ申候て急便ニ可差上候、呉々番衆中能々申聞候、日夜 …
去九月廿九日於参州八幡合戦之刻、被官人稲垣藤介頸一討捕之旨太神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五年 十一月十三日 氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補292「今川氏真判物写」(藤原姓・稲垣氏 …
去五月八日於富永口長次郎構之人数相動刻、無比類走廻之旨神妙也、弥可抽忠功之状如件、 永禄五 八月七日 氏真(花押影) 池田小左衛門殿 →愛知県史資料編14 補290「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下) 去る5月8 …
去五月八日於富永口長次郎構之人数相働之刻、被官稲垣藤介蒙鑓疵之所神妙也、弥可抽軍忠之旨可申聞之状如件、 永禄五 八月七日 氏真(花押影) 牧野右馬允殿 →愛知県史資料編14 補289「今川氏真感状写」(藤原姓・稲垣氏家 …
去六日於号地尻地遂一戦、及刀切々疵・鎗疵弐ケ所被之由尤神妙也、弥可励戦功之状如件、 永禄四年 四月十二日 氏真(花押影) 池田小左衛門殿 →愛知県史資料編14 補267「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中下) 去る6 …
昨十三夜・於薩埵山、敵夜掛之刻、敵壱人新井小次郎与合討、高名感悦候、弥可竭粉骨者也、仍如件、 永禄十二年[己巳] 三月十四日 (北条氏政花押) 清田内蔵佐殿 →戦国遺文 今川氏編2312「北条氏政感状」(浄光寺文書) …
今月廿四日武節本城ヘ敵取懸之処、従最前無比類相動之由甚感悦也、向後弥可抽忠功之状如件、 永禄三[庚申] 十二月廿九日 氏真(花押影) 池田小左衛門尉殿 →愛知県史資料編14 補241「今川氏真感状写」(御系譜類記 上中 …