原題 | 邦題 | 略称 | 刊行年 |
Sketches by Boz | ボズのスケッチ集 | SB | 1836 |
Pickwick Papers | ピクウィック・ペイパーズ | PP | 1836-37 |
Oliver Twist | オリバー・ツイスト | OT | 1837-39 |
Nicholas Nickleby | ニコラス・ニクルビー | NN | 1838-39 |
The Old Curiosity Shop | 骨董屋 | OCS | 1840-41 |
Barnaby Rudge | バーナビー・ラッジ | BR | 1841 |
Martin Chuzzlewit | マーチン・チャズルウィット | MR | 1843-44 |
Dombey and Son | ドンビー父子 | D&S | 1846-48 |
David Copperfield | デイビッド・コパーフィールド | DC | 1849-50 |
Break House | 荒涼館 | BH | 1851-53 |
Hard Times | ハード・タイムズ | HT | 1854 |
Little Dorrit | リトル・ドリット | LD | 1855-57 |
Great Expectations | 大いなる遺産 | GE | 1860-61 |
Our Mutual Friends | われらの互いの友 | OMF | 1864-65 |
Mystery of Edwin Drood | エドウィン・ドルードの謎 | MED | 1869- |
下巻読了。やっぱりディケンズは偉大だと思った。素晴らしい。
高慢で忘恩になったピップは、人生の転機を迎え更生するのだが……何だかラストは興醒めだったかも知れない。ブルワー・リットンの薦めに従ってディケンズがハッピーエンドに組み替えたようだが、やっぱりピップは無力化したまま終わらせて欲しかった。
「エステラ=果たせぬ夢」という公式で考えてみた。対抗馬は「ビディ=日々の現実」。ピップはエステラに焦がれ、振り回され、ビディという選択肢を捨ててまで追い求め振られた訳だ。そしてビディにも戻れなかったとすると、彼は残りの人生で果たせぬ夢を追憶しながら生きていくしかない。恐らくドストエフスキーだったらそのような終わらせ方をしたのではないか。
一番胸に迫ったのは、最初に読んだ時と同じマグウィッチ臨終のシーン。何故だか、役人の台詞がとても印象的。その他であれば、ピップが全力でエステラを振り向かせようとして失敗したシーンだろう。一読目は気づかなかったが、ミス・ハヴィシャムの描写が秀逸。
それから、何故かラストの自然描写がやたらとよい。ストーリー自体は前述の通り「何だかなあ」なのだが、ディケンズはその分描写に力を入れている。そして、大方の読者が期待するようなハッピーエンドは用意せずに仄めかすだけに留めている。
この作品はほどよい分量にまとめられているし、登場人物の配置やストーリーの緊密さも適正だ。よく出来ている……のだが、ディケンズ作品の中でちょっと優等生過ぎやしないかなあと思ってしまった。
手元にあった新潮文庫版を読み始めている。懐かしい活版印刷だったので、奥付を見ると平成元年。この頃はまだ活版は元気だった。
鍛冶屋の徒弟ピップが、正体不明の富豪から遺産相続人として指名されるという粗筋。ディケンズに関しては大抵二度読みしているのだが、この作品だけは初回読んだ切りだった。今回読んでみて判ったのだが、ロンドンに上京していっぱしの都会人気取りをするピップが私自身と重なっていたのだろう。無意識の内に避けていたような気がする。
東京暮らしが人生の過半を上回った今、読んでみるとまた格別な感慨がある。ピップの忘恩も判るが、やはり都会に出ることでしか叶わないステージもあるのではないか、とも思う。今はまだ、自分の分相応がどこにあるのか見えない。60代になったらまた読んでみたい。
登場人物は、さすがにディケンズ後期作品だけあってよく練り込まれている。激烈な性格の姉さん、その夫で善良そのもののジョー。可憐な田舎娘ビディ。骸骨婆さんミス・ハヴィシャム。そして永遠の美女エステラ。
最初読んだ時は、エステラに焦がれるピップの心情に寄っていた。今回もやはり、純朴可憐で家庭的なビディよりエステラに軍配が上がりそうな気がする。
前回と印象が違うのが、弁護士ジャガーズ。恐ろしさが判るようになった。社会の仕組み、ヒエラルキーが肌で感じられる年齢になったのだろう。
引き続き、下巻に続く……。
サイトの趣旨は歴史研究、ディケンズは関係ない。ただ、「文豪ディケンズを扱ったBlogがない!」のが癪に障るので記事にしている。
[w]チャールズ・ディケンズ[/w]
とはいえ、私が語れるのは全くもってミーハーな事柄だけ。ざっくばらんに、ディケンズの小説は面白いことが伝えられれば上出来だと考えている。
そもそも、私がディケンズの世界と本格的に触れ合ったのは大学時代だ。本格推理小説一辺倒だったが、ブラウン神父シリーズを書いたチェスタトンが「ディケンズ大好きらしい」と知った。そして、ちょうどちくま文庫から刊行中だった『荒涼館』を読み始める。当時は若気の至りで「ディケンズなんて推理小説としてはちょろい」と高を括っていたのだが……見事にはまった。以来、座右の書となっている。
ディケンズと言えば『クリスマス・キャロル』と『二都物語』。後はせいぜい『オリバー・ツイスト』と『大いなる遺産』が知られる程度。どれも名作であることは否定しないが、私にとっての代表作は『荒涼館』と『リトル・ドリット』、『我らの共通の友』(ただし『ドンビー父子』と『ハードタイムズ』は未読)。ディケンズはもっと広く読まれてよい作家だと信じてやまない。
今回の記事をきっかけに、ディケンズの作品を再度読み直す旅に出ようと思う。作品の順序は適当で……。