今川氏真、小笠原与左衛門尉が飯田口合戦で負傷したことを賞す
今度於飯田合戦之時、粉骨殊被切疵五ケ所之由、所無比類也、弥可励軍功之状如件、 永禄六年 十二月廿日 上総介(花押) 小笠原与左衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編1948「今川氏真感状」(小笠原文書) この度飯田での合戦の …
今度於飯田合戦之時、粉骨殊被切疵五ケ所之由、所無比類也、弥可励軍功之状如件、 永禄六年 十二月廿日 上総介(花押) 小笠原与左衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編1948「今川氏真感状」(小笠原文書) この度飯田での合戦の …
今度於飯田口合戦之時、致太刀打抽軍中、頸一討捕之旨神妙ニ候、弥可励戦功之状如件、 永禄六年 十二月廿日 上総介(花押) 富士又八郎殿 →戦国遺文 今川氏編1947「今川氏真感状」(静岡県立中央図書館所蔵大宮司富士家文書 …
去廿四日、於引間口孫妻河端一戦時、最前入馬雖為不始于今儀、蒙疵尽粉骨之段感悦之至也、并与力被官人等以高信見合、無比類走廻之条神妙也、弥可励忠功之状如件、 永禄七年 三月二日 上総介 大村弥兵衛殿 →戦国遺文 今川氏編1 …
去廿四日、引間口於孫妻河端一戦之時、拘置牢人同名刑部二郎、於鑓下弓仕之由神妙也、弥可走廻之旨可申状如件、 永禄七年 三月二日 上総介 大村弥兵衛殿 →戦国遺文 今川氏編1972「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書) …
去廿四日、於引間口孫妻河端一戦之時、於鑓下走廻弓仕之段神妙也、此旨被官桜田彦右衛門ニ可申聞之状如件、 永禄七年 三月二日 上総介 大村弥兵衛殿 →戦国遺文 今川氏編1975「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書) 去る …
去十二日、三州御油口一戦之刻、走廻之段甚以感悦也、弥可抽軍忠之状如件、 永禄六[癸亥]年 六月五日 上総介(花押) 小笠原与左衛門尉殿 →戦国遺文 今川氏編1923「今川氏真感状」(小笠原文書) 去る12日、三河国御 …
今度三州過半錯乱、加茂郷給人等各致別心之処、財宝以下悉捨置云々、殊抽一身吉田エ相移令奉公段、甚以忠節也、然者陣夫一人并同名善四郎給拾貫文地、同三人扶持由雖申、各爾相尋随忠節之軽重遂糺明、重而可加扶助、并同名次郎兵衛抱来本 …
加藤丹後守由井へ相移候之処、自由井無用之由候哉、就之可被任其意候、仍如令附与大蔵丞口上候、跡部二郎衛門尉小田原ヘ相移之上者、上口へ可出馬之旨申越候、雖然葛山方之覚悟、不聞届候間、下口へ可進陣候、猶御厨辺之義、先日以跡次如 …
去五月十二日、於三州御油口片坂不慮之一戦刻、先勢被押立之処、正俊於旗本、以一身覚悟遂一戦之上、敵令敗軍、然処随分者討捕、手負数多仕出之条、甚以粉骨無比類、因茲知行於三州境目参万疋、但此内於下方代官所畠銭之内万疋、永扶助訖 …
去二月十八日夜、市野取出江乗入端城押破時、被官村田小伝次頸一討捕之畢、太以無比類、弥可走廻之段可申付状如件、 永禄七年 三月二日 上総介 大村弥兵衛殿 →戦国遺文 今川氏編1977「今川氏真感状写」(御家中諸士先祖書) …