去五月十二日、於三州御油口片坂不慮之一戦刻、先勢被押立之処、正俊於旗本、以一身覚悟遂一戦之上、敵令敗軍、然処随分者討捕、手負数多仕出之条、甚以粉骨無比類、因茲知行於三州境目参万疋、但此内於下方代官所畠銭之内万疋、永扶助訖、但夏秋両度可請取之、守此旨、弥可励忠功之状如件、

永禄六[癸亥]年七月廿七日

 上総介(花押)

三浦備後守殿

→戦国遺文 今川氏編1927「今川氏真判物」(静岡市清水区八坂東・富士文書)

 去る5月12日、三河国御油口・片坂において不慮の一戦をした際、先鋒が押し負かされたところ、正俊が旗本において一身をかけた覚悟で戦って敵を敗軍させました。そのようなところ、随分な身分の者を討ち取りました。負傷者を多数出したのは、大変粉骨なことで比類がありません。これにより三河国境目に知行3万疋(但しこの内下方代官所の畠銭から1万疋)を末永く扶助します。但し、夏・秋2回に受け取るように。このことを守り、ますます忠功に励んで下さい。

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