自堀内之文箱等給候、毎事懇之条、難謝候、向後弥対堀内無等閑候者、本懐満足候、仍徳恵首座帰路ニ委曲被申越候、喜悦候、国中速静謐、目出大慶候、猶以無油断様、意見肝要候、疵未思様候哉、被印判候、無心元候、定漸ゝ可為自由候歟、将又於相州同名左衛門入道被立陣城対陣、既に四日差寄処、右衛門尉其外打出、遂一戦、得勝利、為始伊勢弥次郎家者、数多討捕、験到来本意候、如斯之上、大森式部少輔・刑部大輔・三浦等、太田六郎右衛門尉、上田名字中、並伊勢新九郎入道弟弥次郎要害自落、西郡一変、至于東郡進陣、上田右衛門尉要害実田進陣処、治部少輔打越候、有行之旨、左衛門入道入馬之由、注進到来之間、彼国へ可進発義定候、当地事公方様被立御旗候間、為御警固、庁鼻和三郎・同蔵人大夫、上州一揆等差置候、巨細重可申送候、恐ゝ謹言、
七月廿四日
顕定(花押)
長尾信濃守殿
→神奈川県史 資料編36406「上杉顕定書状」(宇津江氏所蔵文書)
1496(明応5)年に比定。
堀内より文箱をいただきました。毎回のご親切に感謝の言葉もありません。今後はますます堀内に対して等閑になさらないならば、本懐・満足です。徳恵首座が帰ってきて詳細は伝えてくれました。喜ばしいことです。国中が速やかに静謐となり、めでたく大慶であります。さらに油断なさらないように、意見することが大切です。傷はまだ思うようにならないのでしょうか。印判を押されていますね。心もとないことです。きっとすぐに思うようになるでしょう。そしてまた、相模国において同姓左衛門入道が陣に対して陣城を立てられて、既に4日差し寄せたところ、右衛門尉そのほかが出撃して一戦を遂げ、勝利を得、伊勢弥次郎の家の者を初めとして、多数討ち取りました。首級が到着して本意です。このようになった上で、大森式部少輔・刑部大輔・三浦など、太田六郎右衛門尉・上田氏一族・並びに伊勢新九郎入道の弟である弥次郎の要害が自落して西郡が一変。東郡に陣を進め、上田右衛門尉の要害である実田に陣を進めたところ、治部少輔がやってきました。手立てがあり、左衛門入道が馬を入れたとの報告が来たため、あの国へ進発することが決まりました。この地のこと、公方様が御旗を立てられますので、御警護のため、庁鼻和三郎・同じく蔵人大夫、上野国一揆などを留置しました。詳細は重ねて申し送るでしょう。