大沢右京父子去年上田一戦之時討死、然処名代可相続骨肉無之歟、因茲為近所故、孫子亀寿致彼遺跡、忠儀不断絶様ニと申候哉、殊彼骨肉親類中ニ無拠遺跡可令相続人体罷出申事候者、其時者不及異義可相渡段、以書付申之間、任其義候、彼後家・親類以下ニ無非法之義、順路ニ可成刷旨、能々可加意見候、謹言、
七月九日
憲房(花押)
発知山城入道殿
→駿河台大学論叢第41号 13「発知山城入道宛書状」(発知文書)
1511(永正8)年に比定。
大沢右京父子が去る年上田一戦の時に討ち死にし、そうしたところ、名代を継ぐべき近親者もいないのでしょうか。これにより、近所ということで(あなたの)孫子の亀寿があの相続をして、忠義を絶えさせないようにと申しましょうか。特に彼の近親・親類中がいないために(亀寿が)相続する訳ですから、相続人が名乗り出たならば、その時は異議を言わずに家督を渡すようにと書付によって言い渡していますから、その旨の通り、彼の後家・親類以下に非法なことをしないよう、順当に扱うようによくよく意見を加えるように。