前々其方就若気、逆心雖仕候、今度味方候上者、吉衛門尉忠節之為候間、約束之分不可有無沙汰、然者大墳之郷一円ニ浦山役所并屋敷共、可為罷成出置候上者、永相違有間敷候、殊長沢為親類之間、同名士へ有同心、陣番可仕、次藤次郎・同藤八郎儀者、如吉衛門尉之時、合力可仕者也、仍如件、
永禄七年[甲子] 五月十四日
蔵人 家康(花押影)
岩瀬河内守殿
→戦国遺文 今川氏編1987「松平家康判物写」(静嘉堂文庫所蔵集古文書タ)
以前あなたは若気の至りで逆心をしましたが、この度味方となる上は、吉衛門尉が忠節をしましたので、約束の分を無沙汰にしてはなりません。ということで大塚郷一円の浦・山・役所・屋敷は知行として拠出しますので、末永く相違があってはなりません。特に長沢とは親類ですから同姓として同心して、陣番を勤めるように。次に、藤次郎・同じく藤八郎のことは、吉衛門尉の時のように協力させるように。